ジコチュードーメー 〜リストカッターイリヤ+クビキリマホウショウジョアイ+ハートブレイカーイズミ〜 [リストカッターイリヤ] ぷしゅり。 愛用のカッターナイフが、肉を薄く切る。 右手に持ったカッターナイフが、対になっている左手の肉を薄く切る。 伊里間(いりま)イリヤの右手に持ったカッターナイフが、伊里間イリヤの左手首を薄く切る。 薄くならば傷は残らない。 これくらいなら、薄くでいい。 観歌沙(みかさ)高校二年生のイリヤは、明日の数学のテストが絶望的だ。 夏休み前に赤点を取り留年確定するのを避けるため。 伊里間イリヤは、左手首を切った。 次の日の数学のテストは、不思議と覚えている問題ばかりが出た。 [失恋症候群(ハートブレイカー)イズミ] 「あの……ごめんなさい」 藍菫(あいすみれ)高校の夏服を着た女生徒が、藍菫高校の夏服を着た女生徒に断りを告げる。 「気持ちは嬉しいんだけど、わたし、他に好きな人がいるから――」 藍菫高校二年のネクタイをした女生徒が、藍菫高校三年のネクタイをした女生徒に断りを告げる。 藍菫高校二年水城佳苗(みずしろかなえ)は、藍菫高校三年舞野泉(まいのいずみ)の告白に対し、断りを告げた。 「それに――わたし――」 不意に吹いた初夏の強風が、彼女の言葉をかすれさせた。 呼び出された東校舎の裏庭から立ち去る佳苗は、最後に一言を加えて、それきり泉を振り返る事なく去っていった。 「そっ、か……。ま、仕方ないね」 感情を見せずに、泉もゆっくりと裏庭を後にする。 「『それに――わたし、好きなコへの告白も自分で出来ない男の子なんて、いやですから』か。ま、そういう考えもあるよね」 呟きと共にこっそりと見せた泉の表情は、隠しきれない喜びに満ちていた。 ちょっとしたことから、舞野泉は一年ほど前から代理告白をやっている。 好きになってもなかなか言い出せない女の子の為にあるのだが、今のように男子生徒から頼まれることもある。 一カ月におおよそ十回。 もちろん受け入れられることもあるが、もちろん断られることもある。 別に人の幸せが自分の幸せ、などという希有なボランティア精神の持ち主ではないが、自分の橋渡しで実った恋というのも悪くは無い。 だが、泉の本来の目的は別にある。 それにはそう――先程のように、断られなければならないのだ。 故に、彼女は今が一番幸せである。 [首切り魔法少女アイ] 相田愛は魔法少女である。 魔法少女アイは犯罪者として魔法協会から追われている。 首切り魔法少女アイは首を切る。 自分を切ると痛いので、主に他人の首を切る。 切る程度によって生み出される魔力量が変わるので、主に切り飛ばす。 相田愛は犯罪者である。 魔法の為に他者に危害を加える危険人物として、魔法協会から追われている。 魔法少女アイは犯罪者である。 今までに三人の追っ手を返り討ちにした一級犯罪者として、魔法協会から追われている。 そうして彼女の逃亡生活三ヶ月目のある初夏の暑い日。 首切り魔法少女アイに、凄腕暗殺者な魔法使いが差し向けられることが決まったのだった。 [伊里間イリヤ] 良い事と悪い事は数珠繋ぎになっているというが、少なくとも伊里間イリヤにとっては、その数珠の玉は凶事ばかりであった。 虐げられた人間は内向的になることが多く、伊里間イリヤもまた、その例外では無かった。 両親の不仲による無視と八つ当たり。周りの子供達の苛め。 幼い子供にとっては、その小さな世界のすべて。 ある日、インターネットで手首を切るということを知ったイリヤは、それを全てから逃げ出す手段と思い込んで実行した。 実の所、自殺するならば他にも効率の良い方法は数あり、リストカットはどちらかというと、自らの体を張った抗議――訴えという性格が強い。 死を目的としてはいるものの、その前にワンクッションを置き、周囲に何らかの影響を与えようとするもの。 自らの体を使いつつも、周囲に変革を求める受動的な行為と言えるので、その意味ではイリヤの「逃避」という考えは間違っていなかった。 どちらにしろ、イリヤの「逃避」は必然なる所で失敗に終わり、けれども周囲の風当たりを和らげるという点で成功に終わった。 ――もっとも、それは多分に「腫れ物に触るような」扱いであったのだが。 そしてより具体的な変化として、妊娠の発覚した母親は夫とよりを戻し、約九カ月後に生まれた妹がカスガイとなり、完全に元の鞘に収まった。 ただ、両親の愛情はほぼ全てといっていいほど妹に注がれ、イリヤには「何をしだすか分からない子」などという、一歩も二歩も引いた扱いしかされる事はなかった。 一度成功を覚えた行為は、次も成功すると思い再度実行される。 手首切りの常習とも言うべき者達がその典型例の一つで、本来ならば、数を重ねる後とにそのインパクトも目新しさも薄れ、「馬鹿が注目欲しさにまたやってる」くらいに成り下がるもの。 だが、伊里間イリヤの場合はそうならなかった。ただ一つだけの、とても大きな違いがあったのだ。 実際に周囲を、自分の都合の良い方へ動かしてしまう力。 一種の超能力のようなものだろうか。 イリヤが手首を切るその深さに応じて、彼女の心配事が自動的に解消されるのだ。 世界を思うがままに創り変える力。 彼女によれば、手首の血には願の雫が混じっており、外に出した分だけの願いを叶えてくれるという。 若干内向的で内弁慶の気のあるヒステリック少女は、自身の深く認知しない所で、世界を手中に収めた女王様なのだった。 自分が絶対の強者だと知った弱者ほど厄介なものは無い。 とはいえ、幸いなことに彼女はそれ程の暴君でもなく、加減知らずな無茶をやらない程度には頭もあった。 そして何より――そのチカラは真の意味で絶対ではなかった。 あくまで自分以外の周囲に働きかけるもの故に自傷行為に対処手段は無く、つまりやり過ぎれば”失血死”という結末が待っているからだ。 そんなわけで、幾分の我侭を通す力を持ったまま、伊里間イリヤは至って平凡に日々を過ごす女子高生なのだった。 少なくとも、今までともう少し先までは。 [相田愛] 路地に血飛沫が撒き散らされる。 十代後半らしき長い黒髪の少女は、耐刃グローブをはめた左右の手に、光る細糸を持っている。 「む……まずった」 首と命を失い、ゆっくりと崩れ落ちる馬鹿男の様子など、眼前にあって視界に入っていない。 糸と、グローブに血がつくのは仕方ない。 ただ、お気に入りの外着である耐刃ジャケットにまで飛ぶのは誤算だった。 間合いの計り方が甘かったか。 久々の”食事”に、気が緩んだか。 「……まぁ、いいけど。ともかく、これで一飛び出来るか」 血の香気が立ち上るのが視覚化されたように、愛の目には倒れた死体の首切断面から赤い光の靄が湧き出てくるのが映っている。 彼女の魔法使いとしての感覚が、追っ手の接近を告げている。 相手は最悪の一人、「魔法の暗殺者」と呼ばれる手足れ。 正直刃を交えたい相手ではない。 やるならば最大に魔力を溜め、最高の仕掛けを創った上で。 (それでも、まぁ……あの化け物相手だと四分で負ける) だから、とりあえず逃げる。 優しげに近付いてきた、乙女の貞操を狙う不埒者の首で、一割ばかりの力を得た。 全て使い切るなら、もう暫くの猶予を手にすることが出来るだろう。 「こういう勘は、こっちの方が優れてる、はず。距離もあって、術を邪魔することも出来ないから――」 急ぎ、幾つかの魔法の構成を内で編む。 五感と魔法使い的な感覚の欺瞞に加えて魔術探査除けで完全に自己を隠した後、自らの気配を複数生み出して四方に散らせる。 気配には、探査の術をかけただけで発動する呪いを仕込む。 「そして、加速と飛翔、でいけるとこまで高飛び……っ、まずった」 足りない。目的を果たすには、僅かに足りない。 何処だ――思い出そうとしてすぐに浮かんだ。 手っ取り早く獲物を探すために使った、軽い異性寄せ。 もともと邪(よこしま)な考えを持った者が引っかかる程度だが、そのせいで魔力が不足している。 五桁の買い物をする時に一円が足りないようなもの。本当にギリギリなだけに、余計に恨めしい。 「もうちょっと出せっ、ての。……仕方、ないか」 逡巡する暇も惜しみ、腰の短剣を抜いて自らの首に切りつける。 薄皮一枚。粘り気の無い薄い血が胸元へと垂れる。 微妙に歯車のかみ合っていない感がするのに微かな不安を覚えつつ、頭を一振りして散らす。 次の瞬間。十分に魔力を得た愛が、編み上げた五つの魔法を発動させる。 そして、更に二つ。 (さて、と。どこにしよっか、な……) 空高く舞う首切り魔法少女が選んだ地――彼女がそこに降り立った時。 四日間に及ぶ、三人の少女と二人の女……計五人の魔法使いによる、少しばかりおかしな物語の幕が開くのだった。 [手+首切り] 「はぁ……」 何時もながらというべきか、今日も伊里間イリヤは憂鬱だった。 確とした原因があるわけではない。 特定も出来ないような、ほんのちょっとした事の積み重ねである。 何しろ親しい友人の一人も居ない。 放課後、帰宅のために駅前の繁華街を一人歩きしながら軽い溜め息を漏らす。 元々あまり人と付き合いたいと思う方ではないが、寄り道してクレープなどを買ったりして、楽しくおしゃべりしている女子高生を見ると、たまに羨ましくもなったりする。 (色恋沙汰にも縁が無いしね……あ、いや、別に興味があるわけじゃないんよ?) そちらに関しては、この容姿がいけないのかも――などと思うこともある。 以下、イリヤ自身の評価を述べていく。 黒の三つ編みお下げに上縁メガネという野暮ったさ。 腰のくびれこそあるものの、胸は膨らみというのも空しい絶壁に、お尻の肉もろくに付いていない。 顔立ちは……まぁ、整っていると言えないことも無いが、総じて色気は皆無である。 「つまり、面白くない」性格も顔もスタイルも。それが、イリヤが下した結論だ。 「はぁ……」 日が暮れるにはまだ早いというのに、一人で黄昏ている。 幼い頃のように際限なく落ち込むということは無くなったが、古くからの習慣は、半ば習性になってしまっている。 人ごみの中だからこそ、余計に孤独を感じる。 これだけの人がいて、誰からも見られることが無ければ、見るべき相手もいない。 (ほんと、うちはこのままずっと一人なんかねぇ。……な〜んて) 乾いた笑いと共に、三度目の溜め息を吐こうとした瞬間。 とりあえず、イリヤの願いは叶った。 とりあえず――そう、とりあえず。 カタチはともかくとして、彼女を見てくれる相手が表れたのは、紛れも無い事実なのだった。 「きゃうんっ!?」 ぶつかった。 ミス――またミス。 (どうも最近調子が、悪いな。たしか星占だとそう悪くは無かったはず、だけど) 駅前を走っていた相田愛は、角を曲がった先で、ゆっくりと歩いていた少女に正面衝突してしまった。 いくら逃げているからといっても、素人じゃあるまいし、普通はこんなことは起こらない。 それともなんだろう。 怯えているとでも言うのだろうか。 首切り魔法少女とまで言われた自分が、たった一人の魔法使い相手に。 (……ま、それはともかく) 思考をそこで中断し、愛は衝突時に転んでしまったブレザーを着た少女――幾分発達が遅れている感のある、おそらく女子高生を助け起こす。 ちなみに言っておくと、「首切り魔法少女」の他称は、別に愛の実力から付いたものではない。 単に、彼女の魔法使いとしての特徴から生まれた物でしかない。 ――二つ名と実力の因果関係はともかく、実力の方も十分にあるのは確かだが。 「大丈夫? ゴメンね」 「……あ、はい」 少女はズレたメガネを直しながら、可愛らしいけれど少し怯えた声で返事をする。 はて、自分はそんな怖そうに見えるだろうか――。愛はそう考えて、なぜ自分が今まで走っていたのかを思い出した。 すぐ後ろにチャラそうな格好の男が立ち、陽が遮られる。 振り返りはしないが、確か後六人ほどいたはず。 どうしようかと思った愛だが、なぜか周囲に通行人がいないのを確認し、前の少女のことに一瞬だけ思考を割く。 (まぁ……どうとでもなる、かな) 「とりあえず、逃げるよ」 「……えっ!?」 少女の驚きを無視し、左手で相手の右手を掴んで走り出す。 目的地は、本来男達を誘導しようとしていた場所。 人気の無い、路地裏の袋小路。 逃がすまいと追ってくる男達だが、既にその先がどうなっているのかに気付いたらしく、走るスピードがやや落ちている。 「――ゴメンね」 「……あぁ……はい」 逃走中に軽く少女を振り返り、あまり気持ちの入っていない謝罪を送る。 愛の二回目となるその謝りに、三つ編みお下げのメガネ少女は、泣き笑い出しそうな困り顔というなんとも言えない表情で、力無げに返したのだった。 [魔法対戦] 「……なんで、こんなことに……」 突き当たりの壁を目にし、半泣きの声を出すメガネ少女。 色々な媒体でしばしば見かけるシーンである。行き止まりの先に少女が二人で、追い詰める男達。 ――もっとも、この場合狩る側は明らかに愛の方なのであるが。 (それも、まぁ、最近珍しくないか、な? にしても……なんだろ、ね。この人数) ナンパにしては人数が多いし、もう少しデンジャラスな方向の集まりだろうか。 この街に文字通り降り立ち、地図魔法で一通り把握したすぐ後だった。 七人なら、得られる魔力はいくら少なく見積もっても四割にはなる。 幾度と無く視線を潜り抜けた愛の勘が、追っ手が近付いていることを警告している。 まさにグッドタイミングと思ったものだが、その時点で既に焦っていたのだろうか……。 愛がそんなことを考えぼんやりしていると、先頭の男がおもむろにナイフを取り出し、その銀色の刃を外に晒す。 幾分弱まった陽光を受けて煌く刀身と、口の端を吊り上げるように不愉快かつ厭らしい笑みを浮かべる男を見て、傍らの少女が怯えて身を竦める。 男は言葉も無くナイフをゆらつかせながら近付いてくる。 「――っ!」 ついに耐え切れなくなったか。 愛のその読みは当たっていたが、少女が出したのは悲鳴ではなく、カッターナイフであった。 おもむろに自身の左手首に切りつける様に別種の狂気を見た愛。 けれど、その瞬間に少女から感じた力と、それがもたらした結果に余計驚く。 近付こうとしていた不良男は、不意に崩落した左側のビル上部のコンクリ塊に頭を潰された。 (魔力――魔法ッ!? それに、あっちから、も。これは……) 一瞬で表情を引き締める。そこにいるのはありきたりなハイティーンの少女ではなく、三桁に上る一般人と十人以上の魔法使いを葬ってきた”首切り魔法少女”である。 一つ目は、間違いなく隣の少女。彼女が手首を切った瞬間に発生した魔力が、あのコンクリート塊を降らせたのだろう。 そして、少し遅れて感じられた、もう一つの魔力――。 「なる、ほど、ね」 ぽそりと唇から漏れたと思った瞬間。 既にそこに愛の姿は無い。 半瞬、一瞬――前から順に、六人の男達全員が首から上を宙に飛ばしている。 得物は愛が右手に下げている日本刀だろう。 だが、かすかに背中に手を入れたように見えたものの、元々そんな長物が隠せるスペースは無く、何処から出したのか非常に怪しい。 「っ、っっ、ぁっ……」 「あー、うん、そんな怯えなくても。別に、キミに危害を加えるつもりはない、し」 「――あ、は、はい……」 気ばかりが急いたらしく、死にかけの虫のように後ずさりしていた三つ編み制服少女は、愛の言葉にひとまず足を止める。 彼女が使った魔法からの推測だったが、とりあえず他者――特に自分に害を及ぼそうとする者の生死には頓着しないらしい。 (気が合いそうで、よかった。……それにして、も) 騒がれてこれ以上の目撃者が出る心配がなくなったので、現状についての再認識を始める。 愛が見る限り、この襲撃には二段の仕掛けがしてあった。 一つは、一般人を巻き込む事でそちらに注意を割かせ、隙を作ろうというもの。 もうひとつは――。 「疑問に感じた時点で探査魔法を使ってくれれば、もっと嬉しかったけどね」 突然少女二人の前に現れた、全身黒尽くめな赤髪の美女の言葉。 そう、魔法少女アイの魔力を消耗させようという狙いだったのだ。 けれど愛はそれに引っかかるほど甘くは無かったし、そもそも予想が間違っていたにせよ、敵対者を躊躇無く始末するくらいの傍若無人さを持ち合わせていた。 赤い髪の魔法使いがふわりと邪気の無い笑みを浮かべると、頭が潰れたのと飛ばされたのと計七つの死体は、本来の姿である鉄と粘土で作ったヒトガタに戻る。 (戻る――正確じゃない、な) 正しく言えば、元からその姿であった。ただ、今まで誰もそう見えなかったというだけ。 幻覚魔法である。よくある手ではあるが、同じ魔法使い――しかも手足れに対して悟らせないという出来は、専門の一流術士に匹敵している。 「小技を使うんだ、ね。意外に」 「ふふ、まぁ、『暗殺者』だからね。別に正面から行ってもどうってことないだろうけど」 余裕の笑みを向けてくるが、それは事実である。分類こそ同タイプであるものの、事実上無限に魔力を生み出せる魔法使いなのだ。 そして、扱う術の幅も性能も一級品。 「まぁ、運が悪かったってことね。其処のお嬢さんも」 「……え?」 今までの非現実の極みのような出来事に脳がオーバーヒートして呆けていたイリヤは、声色と内容から相手が自分も標的に入れているらしいと知って怯えだす。 元々人を殺すことを何ら罪悪と感じていない女である。それに、彼女は愛と違い、執行部から「首切り魔法少女」の処刑の為ならば多少の一般人を巻き込むことも構わない――そう確約を取り付けている。 合法なのだ。少なくとも、魔法使いとしては。 「たぶん分かってる、と思うけど、そのコも魔法使いだから。二人相手に勝てるつもり?」 「もちろん。私がなぜ『魔法の暗殺者』なんて呼ばれているか、知らないわけではないでしょう?」 愛のハッタリは、暗殺者にとってイリヤの実力を考慮する段階にすら行かないようなものなのだ。 今の愛の魔力量なら、たとえイリヤが愛と同等の実力を持っていたとしても取るに足らない。 彼女に考えさせるほどの魔法使いは、本当に数少なく、イリヤからそのクラスのプレッシャーなどは微塵も感じない。 (人形の首じゃ魔力は得られないし、ね。そこまで計算されてたか) 「でも――」 「?」 「多分、そのコを舐めたら、酷いことになる、と思うよ」 にやりんと笑って右手を一閃させる。 『煉獄の焔は咎人の魂を焦がす!!』 生み出された爆炎は。 『――分解』 赤髪魔女が無造作に突き出した右掌に触れた途端に消滅する。 『影からの暗殺者!!』 間髪入れず。魔女の影が一部変形し、鋭く伸びる棘が後ろから心の臓を串刺そうとするも。 彼女の左手が影針を握った瞬間、魔力は分解され術は霧散する。 (やっぱり効かない、か) 元々一対一での正面戦は絶望的なのである。 術を破壊するなどという規格外な魔法を使う彼女相手には、せいぜいが”一撃力を持った魔術”を対処しにくい位置、タイミング、連携で高速連発させるぐらいしか手は無い。 ――そう、高度に罠を張った上でなければ、たとえ愛の魔力が満タンであろうとほぼ勝ち目の無い相手。 「――っというわけなので、キミの魔法でお願い!」 「……は、え、まほ、う?」 突然始まった、常識ドン無視のサイキックバトルに目も意識も奪われていたブレザー女子高生は、突然振り返って言う愛に間抜けな声でオウム返しに囀る。 もちろん、そんな隙を暗殺者が見逃すはずは無い。 ――いや、思えば彼女がここで余裕を見せて威嚇射撃に留めていなければ、全ては至極簡潔に完結していたのかもしれない。 「おかえし」 ともあれ、魔女は軽く笑いかけるように悪戯げな声で言い、二十を越す鶏卵大の雹を斉射した。 「きゃうっ!?」 その全ては、せいぜい薄皮一枚を削る程度の物であったが、制服少女は大げさに驚いた声を上げる。 「さっきの、アレ、ね?」 こちらは全く動じていない魔法少女。再度メガネさんに要請をかける。 「…………」 頬を掠めた。 垂れた血が首へ。 何をされたのか。 そして目の前の少女は、自分に何をしろといっているのか。 一瞬空白になり、次いで一切が彼女の中で収束する。 そうして少女は、おもむろに自らの左手首をカッターで深く切りつけた。 ――赤髪の魔女の二度目の失敗は、彼女のその行為を余裕で持って見送ってしまったことだった。 「づっ!?」 彼女にとっては、たいていの魔法は無意味なものでしかない。 故に。 大したこと無い。 そう、決め付けていた。 けれどそれは、間違いだった。 イリヤが手首を切り裂いた瞬間、暗殺者の足元のコンクリが砕け、同時に襲った心臓の鋭痛が判断と対処を遅らせる。 バランスを崩した左足を強く捻り、地面とキスするのを避けるために着いた手を、尖った無数のコンクリートの欠片が貫く。 (行け――る!) 一度見ていた愛は、突然の事態に赤髪の魔女よりも早く行動を起こした。 瞬時に開放した構成が魔女の背を激しく打ち、地面に叩きつける。 破片が更に体を傷つける。 続いて二つ目の魔法。 暗殺者を中心として円形。地面がとろけ、激しく渦を巻く。 そのまま彼女を飲み込み。 数秒後に地面が戻った時には、すでにそこに人の姿は無い。 「『泥土の移送扉』ほんとは一気に片をつけたかった、けど」 完全に油断していた今が一番の好機だっただろうが、あいにく彼女を殺し切るほどの魔力は無かった。 場所を決めずに、せいぜい二キロ先に放り出すのが精一杯。 (でも、まぁ、上々、かな。まさか、直接干渉ですらない、運命干渉系とは思わなかった、か) いくら隠していても、近付けば気付かれる恐れがあるために、魔女は遠くからの監視に留めていた。 だからこそ、あれだけ簡単に引っかかってくれたのだ。 「もちろん、”効かない攻撃で精一杯”、と思わせたのも(事実だけど)、仕掛けとして――」 「――あの」 声になるかならないかの独り言は、後ろのリストカット娘からの発現で遮られる。 「あーーー、うん、さっきからの説明、ね。いいけど、とりあえずここ離れない?」 そう愛は提案する。 確かに、少々騒がしくしてしまった。恐らくあの暗殺者が常人を寄せ付けないように術をかけていただろうが、それも解けているだろうし、さっさと逃げ出しておく方が賢い。 「あ……そうですね。……えと、私の家、近くなので――」 来ますか? という言葉は彼女の口中で立ち消えてしまったが、無くとも十分意味は伝わる。 「そう、だね。あ、ボクは相田愛。首切り魔法少女アイ、なんて呼ばれたりも、する。愛でいいよ」 「は、はい。伊里間、イリヤです……。あの、よろしくお願いします」 「うん、よろしく〜」 そうしてそう、二人がぎこちなくも握手を交わした瞬間、完全に縁は結ばれ、本格的に物語は動き出すのであった。 まだ見ぬ終着へと向かい走り出した”運命”を、止めることは誰にも出来ない。 [舞野泉] 舞野泉は狙われている。 体の貞操か心の貞操か、あるいは両方を狙われている。 事の起こりは二日前に遡る。 「〜好きです」 「……えっ? ……あ、ありがとう。嬉しいよ!」 そう、彼女の告白は成功に終わったのでした。 ここまでは、ありきたりな高校生思春期学園生活の光景。 ごく普通の告白をした二人は、ごく普通に結ばれ、これからごく普通の恋愛が(告白依頼者との間に)始まるはずでした。 でも、ただ二つ違っていたのは――。 彼が本来の告白者ではなく、代理者の泉の方を好きだったこと。 そして――彼は”カンチガイ系ストーカー”だったのです。 (まったく、最初に告白者の名前も言ったし、代理での告白だって事も言っただろっての) 正直、まぁ、その、なんていうか……困る。 泉に彼女に対する恋愛感情はないし、そもそも人を付回すような相手はゴメンだ。 もちろん、その場で訂正と断りを入れたのだが、彼は都合の悪いことは聞こえない、理解しない種類の生き物らしい。 「ちゃんと言ったんだけどなぁ……」 舞野泉は憂鬱である。 なにしろ、学校ではカメラ片手に追い回されるし(ただ後ろを着いて来るだけだが、気味悪くて逃げてしまう)、今部屋のカーテンがレースのものだけで無く分厚いのまでかかっているのは、通りからプロ使用な一眼レフデジカメで狙われているため。 窓を開けての空気の入れ替えさえ、慎重にならざるを得ない。 一度彼の名前でヌイグルミが送られてきたが、嫌な予感がしたので強く握ってみると、何か機械類の壊れる音がした。 実家である神社の手伝いは――まぁ、仕方ないと諦めている。 巫女衣装を撮られるのは、慣れているといったら変だが、そういう輩も少なくはないし、仕事の一部だとも割り切れる。 (にしても……わからん) 本当、今まで告白された覚えなんて無いから、あまり自分に魅力が無いだろう事はうすうす感づいている。 少なくとも、”巫女”というブランドが無ければ、写真を撮られることなんて無いだろう。 背は高いがかなりの細身で、まぁ、引き締まっているといえば聞こえがいいものの、女性らしい丸みや柔らかさには欠ける。 髪は短いし、家事は一通りは出来るものの、それ以外に女らしいところは特に思いつかない。 「アニメ声で百四十センチで、ツインテールな美少女――とかだよね、普通」 ……たぶん、それは常人の嗜好ではないが。 どちらにしろ、女の子らしい方が良いに決まっている。それが、舞野泉の男性観である。 そう思い、件のストーカー男にも聞いてみたことがある。 「なんで、わたしさ? 他にももっと可愛いコがいっぱいいると思うけど?」 「そんなこと無いよ。僕にとっては、舞野さん以上の女の人なんて居ない」 「? 一応聞いてみたいんだけど、理由は?」 「――そうだな、カレー」 (カレー? 鰈?) 「前に舞野さんが部活で走ってるのを見たんだ。とても佳麗で、カッコよかった。強いて言えば、それが最初かな」 (それならそれで、御蔵(みくら)部長とか、エースの九式七臣(くしきななおみ)とかの方が、よっぽど走りもキレイで女性的魅力もあると思うけど……) 彼女がフルネームで呼ぶのは、尊敬でも敵対意識でも見下しているのでもない。 好敵手として認めている証なのだ。 (人間的に、ね。走術の腕は……才能としてもだし、本気でやってる彼女には敵いっこないけど) 舞野泉は走術部に属している。 陸上部とは違い、大会に出ることを目的とせず、ただ走ることを極めるための集まりで、創立者の家に代々伝わる古式走法を元にしている。 舗装された道だけでなく、森や湿地、障害物を避けながらの走りも訓練するし、薬物を使用しての人体強化も行う。 ――もちろん、薬物といっても麻薬の類ではなく、れっきとした合法ものだ。 良薬口に苦し。多少の毒性を含むものもあるが、それは珍しいことではない。 薬と毒は表裏一体であるから、完全な薬などそもそも存在しない。知識のある者が調合し、的確に服用させれば問題は起こらないのだ。 それらの薬は、持久力や瞬発力の強化、体の柔軟性を得る目的で使われている。 そのようにしてひたすら鍛えに鍛え、走術を極めれば、水の上すらも走れるようになるというが――それはまぁ、部員寄せのためのハッタリに過ぎないだろう。 巧く、速く走れば自然美しい。熟練の寿司職人の手つきを見ても分かるとおり、全ての動作の行き着くところは、無駄のない芸術性とも評せる美なのだ。 もっとも、体を――特に足を鍛えるという目的から入っただけであり、故に泉は走術自体にはあまり興味は無い。 更に言えば、今回の話には走術も部員の二人も関わらないので、とりあえず泉がそんな部活をやっているということだけ記憶しておけばいい。 いま泉は、つたない走りを見て褒められるのも悪い気はしないものの、相手によるという事を実感している。 (姉キの言うように、「ムカつくものは蹴っ飛ばせ」で行けたら楽なんだけど……) さすがに慕ってくる者相手にやる気はまだ起きない。 ――そう、「まだ」である。 このまま続けば遠くないうちに、我慢の壷が満杯になってあふれ出すような気もするが、まだ大丈夫だ。 (それにしても、ねぇ。ホント、もっと魅力的なコがいると思うんだけどね〜) 実際には泉自身男女から慕われ、好感度も高く、恋愛的にも魅力的とされている。 泉の代理告白屋という行動から、自信の恋愛に興味が無いと思われているのと、互いに牽制しあっているのが原因であるのだが、泉はそのことに全く気付いていない。 ともあれ、舞野泉はストーカー的熱狂信奉者に狙われることになった。 彼女と、彼女が関わる物語は本格的に動き出したのである。 |