[巫女] 承句
 掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
 筑紫の日向の 橘の小戸の 阿波岐原に
 禊ぎ祓へ給ひし時になりませる祓戸の大神等
 諸々の禍事罪穢 あらむおば
 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞食せと
 恐み恐みも 白す

「……」
 気に食わない。流れてくる静やかな声に、眉をひそめる。
 ただ唱えられるだけでも気分が悪いのに、この声には、しっかりとちからが篭っている。
 女生徒は祓串と御幣を重ね持ち、米を打撒きし、鈴を振る。
 弓を手にし、矢を番えずに引く。
 一段落したところで、瑞香は静かに近づき、声をかける。
「弦打ちに祓詞……ですか?」
「っ? ……見て、た?」
 弦打ち――鳴弦とも云い、弓弦(ゆづる)を鳴らして邪気を祓う呪い(まじない)である。
 祓詞は、伊邪那岐命が岩戸より帰りし時、身の穢れを清めた故事に基づいたもの。
 祓串の大前で奏上し、それをもって祈祷対象と、奏上する神職自身をも清めるもの。
「ええ。声が聞こえたものですから」
 瑞香はしれっと言う。それを受ける少女は、「やだ、恥ずかしい」などと、一人顔を赤らめる。
「ま、まぁこんな所で立ち話もなんだし、行きましょ?」

 中庭――芝生が植えてあり、端にはそれなりに立派なベンチが幾つか並んでいる。屋根代わりに藤蔓を這わせて、感じを出している。
 そのひとつに、二人して腰掛ける。少女の足元には、先ほどの祭具一式を納めた大きなバッグ。
 変に落ち着いた雰囲気がこの年頃の者には合わないのか、相変わらずほとんど人気が無い。
「それで……あの、さっきの」
「はい?」
 実際何が言いたいのか分らなかったので、そのまま聞き返す。
「誰にも言わないでくれます? えっと、噂になるとイヤというか――」
「ああ、わかりました」
「良かったーー」などと言いながら、大げさに胸を撫で下ろす。
「ほんと助かります。――えっと?」
「2−1の鈴坂瑞香です」
「あ、ごめんなさい。先に名乗るべきでしたよね。私は、3−2の梓咲結和那(しざきゆわな)です」
「……それで、先ほどは何をなさっていたんですか?」
 お互い名乗りあい、一段落着いたところで、先ほどのことについて切り出す。
「えっと、鈴坂さんは、こういった、心霊とかオカルトとかに詳しい?」
「詳しい、というのではないですが、一通りは」
 そう聞いてきたのは、最初のやり取りがあったからだろう。
 まさか、自身がそうだからなどとは、目の前の少女は想像もしていないだろう。少し、可笑しい。
「えっと、それじゃあズバリはっきり、そのまま言いますけど――」
「すごく、澱んでたんです」
「澱む?」
「えーと、なんというか、邪念とか、妄執とか、無念とか苦痛とか……そういった負の感情が」
 それはそうだ。あの場所は、嬲る側と嬲られる側のけして明るくはない感情が溜まった場所。
 そして、瑞香が彼らを喰らった場所。
 勿論、そんなことは言葉にも態度にも出さず。
「近づかないほうがいいですよ。引きずられちゃうと厄介ですから」
 という結和那の言葉に大人しく頷いてみせる。
「それはそうと、いつもあんな風に?」
「あー、はい。気になると、何も手につかなくなる性質(たち)なので」
 だから、見かけるとどうしても手を出してしまう、と。
 ただ、今回ほど派手にやることは少ないらしい。
「私、どうやら自分に対するものの方が効き目が良いみたいなんです」
「それで、いつもはこの身に穢れを宿してから、天津祝詞で清めるんですけど――」
「どうも、私自身が危ないな。というほどの瘴気でしたので、とりあえず」
「……」
 なんといったらいいのか……。
 罰あたり・非常識。いや、合理的、というべきなのかもしれないが。
「もうあと二、三日はかかりそうなんですけど、出来ればそっとしておいてやってください」
「って、そもそもあんなところ、用なんて無いですよね」
「ふふ、そうですね」
 近寄ると危ないとかいうよりも、ああやっている所を見られるのが恥ずかしいのだろう。
 苦笑する結和那にあわせ、瑞香も笑みを見せる。
 ――そうやっていると、午後の授業始まりのチャイムが鳴り出す。
「ああっと、それじゃ、行きますね」
「次、移動教室なんですよ〜」などと、あたふた荷物を拾い上げながら。
「では、鈴坂さん、また」
「はい、さようなら。先輩」
 そうして危なっかしげな様子で少女は去っていった。その後姿をしばらく眺めて。
「梓咲結和那、ね」
 少し名を留(と)めておこう。そう思いいながら。
 瑞香も、ゆっくりとした足取りで中庭を後にした。


[幕間 御魂鎮]
「あれ……?」
 姉様を見かけたと思って来たんだけど。えっと――。
「?」
 女の人――あれ、梓咲さん? なにか……弓を引いてる?
 それに、その場所は。
「あの……」
「えぇうっ!?」
「えっ!?」
 何をしているのか、気になって声をかけてみたんだけど……思いきり驚かせてしまったみたい。
 わたしまで驚いちゃった。
「あ、あぁ深羽さん? ゴメンなさい。いきなり声をかけられたから」
「……昨日に続いて。もうやめよっかな」
「え?」
「ああ、なんでもないですよ」
 なんだろう? 途中から何かぼそぼそ言ってたから、聞こえなかっただけなんだけど。
「ええーと、で、何か? っと、ああ、これ?」
 そう言って、自分の格好を指す。
「あーー、うん。お祓い」
「お祓い……ですか?」
 自然、声が硬くなる。この倉庫前で、お祓い。
「ほら、私の家、神社でしょ。だから、そういうのもちょっと――ね」
「で、まぁ何かすごく澱んでるから、普通の人は近づくだけで気分悪くなったりするだろうな」
「見てみぬふりも出来ないし――なんて」
 すごく慌てて、しどろもどろに捲くし立てる。
 ――なんだか、少し面白い。
 姉様が、わたしを慌てさせたりするの、なんとなく分る気がする。なんて。
「しばらくは、危ないから近づかないようにね?」
「あ、はい。わかりました」
「ん。それじゃあまたね、深羽さん」
 言われなくたって。こんなところ、わざわざ近寄りたくもない。
 そんなわたしに気付かず、そのままにこやかに去っていく。

 梓咲結和那。この近くの神社の娘さんで、家を出て働いてるお姉さんが一人。
「姉さんが出てっちゃったから、父さんは私に継いで欲しがってるのよ」
 そう言ってたっけ。
 すごく面倒見のいい人で、誰にでも優しい。
 私も、何度か助けてもらったことがある。
 男女とも――先生達にも人気があるの、分る気がする。
(あー、うん、かなり美人だし)
「それにしても……」
 お祓い。ことばからして、姉様にとってよくないと思う。
 梓咲さんは、姉様が人じゃないからって、なにか危害を加えたりなんてしないと思うけど……。
 なんだか、不安。


[幕間 宴場] 重句
『ふむ。やはり策を講じねばならぬか』
 校門の先に手を伸ばそうとし――弾かれる。軽い痺れ。押し入ろうとするならば、この身が消し飛ぶだろう。
 力量の差でなく、その性の違い。ちからの種が異なるほどに反発は強くなる。
 出てくるのを待つか、さもなければ、なんとかして結界を破る必要がある。
『しても、面白い所を選んだものよ』
「学校」という場所は、きわめて特異な閉鎖空間である。
 大勢の同じ年頃の子供と、わずかな大人のみ。
 部外者が入ってくることなど、何らかの行事を除いてはまず無いといっていい。
 それだけに、一度入り込んでしまえば、人目に付くという心配がない。
 そして、前述の「きわめて特異」というのは、彼女達の「餌」としての質である。
 生気、精気……あるいは身を喰らうことで命そのものを糧とする者にとって、生命力に溢れ、魂の純粋性を保っている者は極上品である。
 生命力はいうまでもなく、魂、精神の質においても、社会という毒に汚されることの少ない子供は、総じて価値が高い。
『その機構自体が一種の”結界”――外と隔絶された領域』
『中の餌は、無作為に選ぶよりも上質』
『…………』
『なれば、此度の戦い……格段に愉しめような?』


[幕間 歯車]
「うう、急がないといけませんね〜」
 遅くなってしまった。
 ちょっとしたお使いに出ただけ。うちの神社のお得意様のところまで、守り札を届けに。
 大義名分があるといっても、さすがに夜の十時は門限破りの雷が落ちる。
 ついつい長居して――まぁ、その原因の大半は、彼女の出してくれたお茶とお菓子が、本当に美味しかったからなのだけど。
「うちじゃ、ああいった高級品は縁が無いのよね」
 実を言うと、それがこうやってお使いに行く理由である。片道二時間もかけて。
「……ん?」
 ぼうっとしていても気付くほどの感触。どこか別の世界にでも入ったかと思うほどの空気の違い。
『……』
「……?」
 こんな場所に、お坊さん?。近くにお寺なんて無かったはずだけど……。
 それに、その姿はどこか覚えがある気がする。どこかで見たというよりは、本やなんかで見たといった感じで。
 すれ違う――そのとき。
『これはまた……面白い』
 ぽつりと、呟く声は、何故だか分らないけど、私に対してのものみたいに聞こえた。


[祓]
「あら……なにか?」
「その気配。あなたが犯人ですね」
 あくまで静かに問う瑞香に対し、女生徒は冷たく言い放つ。
 放課後、東校舎一階廊下。
 巣に戻ろうとしていた所を呼び止めたのは、数日前に会った神社の娘。
 雰囲気が、あの時とは全く違う――清めの儀式を行っていたときよりも、なお鋭い。
「……勘が鋭いのね。それで?」
「みてしまった以上、始末するだけです。あなたがこれ以上人を殺めないうちに」
 得物は弓。
 どうやって隠していたのか、背中に手を回し、上着の下から取り出し構える。
「……いいわ。その思い上がり、正してあげましょう」

 風切り音が鋭く響く。
 速射。
 射法八節の無い、全てが一動作。
 矢継ぎ早というのは、本来こういうことを指すのかもしれない。
「予想以上。今時これほどの遣い手がいるなんてね」
 携えた朱塗りの半弓よりもたらされるのは、特別製の”破魔の矢”。
 妖(あやかし)である瑞香にとって、致命傷ではないにしても、けして楽観できない傷を与えるもの。
 放たれる矢の全てを大量の糸によって打ち落とす。
 少量であれば、溶かし、そのまま襲い来る故に。
「これで終わりなさいっ!」
 矢を落とすためよりも多く。
 一条、また一条。
 次矢を射るその瞬間。
 糸の束が複雑な軌跡を描き、同時に四方から捕らえんと飛ぶ。
「ふっ――!」
 一歩、大きく退き、手にした弓……その弦でもって迫り来る糸を払う。
 人の力では勿論、尋常な刃では傷つけることも適わないそれを、あっさりと。
 紙を割くよりも鮮やかに。
「っ!?」
 とっさに後ろに跳ぶ。間髪いれず射ち込まれる矢を、何とか凌ぐ。
 退いた距離の分だけの余裕。突然の事態に硬直していたとしたら、そのまま受けていただろう。
 より強靭な生命としての、本能。
「……」
「……」
 互いに動きを止め、見合う。
 次なる一を踏み出すその前に、思いもかけない声が二人を止める。
「姉様っ!? 梓咲さん!?」
「まゆりっ!?」「深羽さん!?」
 思わず三人顔を見合わせ、だれからともなく、ひとまずの中止が提案された。

「つまり、害は無い。そういうんですか?」
 一通り、まゆりの説明――弁護を受けるも、まだ硬い。
 それも当然。こういったモノは人を誑かすものだし、見ていれば少女がこの妖姫に特別な感情をもっているということがよく分る。
 第一。
「すでに数人、殺してますよね?」
「ええ」
「でもっ! それは――」
 平然と返す瑞香と対照的に、まゆりは必死に言いすがる。
 なんとなく……なんとなくその様子に気に食わないものがあったものの、当の本人は、そのかすかな棘に気付かない。
「……確かに。わけは聞きました」
「私も、その場に居たなら……同じくその人達を殺していたと思いますから」
 そっけなく、平然と物騒なことを言い放つ。
 常に無い物言いだが、この少女にとってそれだけのこと。
(私が、もっと早く気付いていれば……深羽さんを――)
 苦しめることも、このようにあやかしの虜にさせることも無かったのに。と。
「そのことは良しとします。少なくとも、ここにいる間は危害を加えることは無いようですし」
「――深羽さんの精気を奪う以外は」
「!!」
「わたしは姉様に奪われているなんて、そんなこと思ってもいません!!」
 この少女には本当に珍しく、声を荒げる。
 確かに、あの頃――話によると、毎夜嬲られていた頃よりも、ずっと生気のある様子。
 加えて、口惜しいけれど瑞香という存在が、まゆりにとって生きる楽しみを与えているようだ。
(口惜しい、けど?)
「……うぅん、まぁいいわ」
「あなたがそこまで言うなら、私はとりあえず引きます」
「私自身、害意を持っているとは思えませんし」などと、先ほど勝手に襲い掛かったことを棚に上げて呟く。
「引かせて――もらえますか?」
「あなたが収めるというのなら、ね」
「一応、謝っておきます。では」
 そうして、あっさりと、そのまま振り返ることも無く立ち去る。
 いつかのように、その姿を眺める瑞香。
(それにしても、どこかで見たような……)
 あの弓と、あの時の結和那の気配。
 気の遠くなるほどに生きているのだから、似たようなものを昔見ただけということも十分に考えられるが――。
「姉様」
「……なに? まゆり」
「あの、ごめんなさい。こんなことになるなら、もっと早く言っておけば」
「気にしなくていいわ。それで変わることもなかっただろうし」
「でも」
「もういい、そう言ってるのよ?」
「あっ、はい」
 ただ気にかかることがあっただけで。
 彼女に怒っているわけではないのだが、なんとなくそう取ってしまったらしいまゆりに。
「久々に、あなたのお茶が飲みたいわね」
「今夜、いいかしら?」
「……はいっ。とっても美味しいのを淹れてきます!」


[結縁 〜遥〜] 佳句
「……」
 ゆっくりとした風が、瑞香の髪を梳いて去る。
 東校舎屋上。他よりも一階分高く、それだけ空に近い。さらにもう一つ上、避雷針が置いてある所が最上だが、安全の為か常設の梯子は無い。
 流れ去る風、流れ去る時……。
 何とはなしに無情を感じ、軽く苦笑する。
「感傷、か。そうね、このおままごとも、もうすぐお仕舞い」
 一月。何があったというほどのこともなく、結局はただ少女と戯れていただけ。
 彼女の頼みを聞く形で他者を喰らっていないため、ちからをつけるどころか、傷がようやっと塞がった程度。
 準備万端などとは口が裂けてもいえない体たらくである。
「姉様っ!」
 扉を開けて走りよってくる少女。
「あら」
「探しましたっ……」
 息を切らせるその手には、かわいらしい包みの弁当箱。
「少し、風をみていたのよ」
「はぁ……」
「それでは、今日はここにしましょうか?」
「あっ、そうですね」
 準備よく持って来ていたシートを敷く。まゆり自身が潔癖症というのではなく、瑞香に対してのもの。
 無用ではあるものの、その気遣いも可愛らしいと思う。
「そうね……まぁ、つまらなくはなかったから」
「――えっ? 姉様、なにか?」
「いいえ。そういえば、今日は満月だったかしら」
「お月見、でもしましょうか?」
「……姉様から誘っていもらえるなんて」
 何気なく振った話だが、どうやら少女をいたく感激させたらしい。
「わたし、すごく楽しみです」
「そう。それは良かった」
 言う瑞香の表情も、いつもより、ほんの少しだけ柔らかかった。


[結縁 〜風詠月〜]
「中秋の名月ね」
 いつの間にそんなに経っていたのか。着実に冬は近づいている。
 もっとも、冬までここに居ることはまずない。
 この月が欠ける頃には――。
「はい。ですから、今日はお団子です」
 魔法瓶に入った温かい茶と一緒に差し出してくる。
「ふふ」
「あなたの作るものは、みな美味しいわね」
「あっ……」
 褒められたことか、自分の作った物で喜んでくれているということか。
 まゆりは顔を真っ赤に染めて、思い切り照れる。
「さ……こっちへ」
 少女を招き、寄り添うように座らせる。
「少し、寒いでしょう」
「いえ……あったかいです。姉様と一緒だから」
「それはよかったわね」
 小動物を愛でるように。
 そうして、顔を上げ、叢雲掛かった満月を見る。
「一緒に月でも眺めましょうか」
「そうですね。ほんとに綺麗……」
 冷えかかった風が、否応無しに終わりが近いことを感じさせる。
 それでも、このときだけは……。ゆっくりと、おだやかに。


[幕間 駒]
「あの方とは……どのような」
『愉楽』
 街外れの神社。
 参道の脇で、巫女の少女とその祖とされる”神”が言葉を交わしている。
「え?」
『いや。そうだな……殺しあう仲、か』
「……殺しあう」
「あの、本当に、必要なのでしょうか?」
「あの方とは何度か話したことがありますが、祓われるべきものだとは思えません」
 異端を、異形をそうであるというだけで狩りたがる者もいるが、こと神道においては当てはまらない。
 いや、そこにあるのは単なる巫女としての感情だけではないのだが、そんなことは当人も気付いてはいない。
 実際の感情としては、そうすると、まゆりが悲しむだろうから。
 ただ、それだけのことなのだが――。
『ふむ……』
「――あっ?」
 軽い思案の後(のち)、静やかに後ろに回り、その背に軽く掌(てのひら)を当てる。
 そのまま、入りこんだ”もの”が少女の五体へ、僧の意識を流しだす。
『やはり、こうした方が早いな』
 軽く、暗い嗤いを上げ、何ほども無かったようにゆっくりと社を後にする。
 ふらり。糸で引かれるように、その後を結和那が着く。
『さて、愛しき娘よ。汝が為の趣向、存分に味わえよ……』


[破界] 転句
「っ!?」
 暇つぶしにと、教室で授業を受けてみたりなどしていた瑞香は、不意に走った衝撃に意識を覚醒させる。
(一角……崩された)
 敵の侵入を阻むために張った結界。四方、八方……要となる場所にちからを持ったものを置き、繋いで界と成すもの。
 残った力の大半を割き、十二方位に分身である子蜘蛛を置いた式陣。
「っ!」
 また、ひとつ。
 常人には見えることも触れることも出来ないそれを、確実に。
 慌てて意識を集中させる。結界内のことならば、余分に力を使いさえすれば、全て把握できる。
「結和那……?」
 髪を結い、巫女装束に身を包んではいるものの、紛れも無くあの少女に違いない。
(だけど、あの娘に出来るはずが)
 彼女の感知能力は低かった。最初は、あれだけ近くに居てすら、瑞香の正体に――。
「!!」
 さらに一つ。手にした紅い弓で蜘蛛を射貫く。貫かれもがく蜘蛛を潰し、矢を回収する。
(そう。なら、なぜあの時に気付いた? そして、今……)
 より深く探る。感覚的に、遠目で見ていたような姿が、より近く詳細に。
 無表情で、生気の無い瞳。同様に気配も虚ろ。
(糸……銀糸!?)
 普通では見えない、わずかに蒼い銀の糸。それが絡まっている。そんな風に。
 それを見た瞬間、瑞香の脳裏で、今までの欠片が組み合わさり、一つの画となる。
 巫女。神社。この土地。紅い弓。蒼い銀糸……。
「そう……。あの時殺しつくしたと思っていたけれど」
「あなたの”娘”というわけね」
 今は居ない、宿敵に向けて。
 彼の子孫にあたる娘。それが結和那。
 思えば、その時にもあの弓を持っていた。当時は弦で糸を切るなどということはできなかったから、おそらくはあの男が与えたものだろう。
「いいわ。今夜――日が落ちたら」
「ここで始めましょう。私たちの、終りを」
 瑞香はそう、ここに居る人形を通して、ここに居ない”もの”に、告げた。


[石花朧影]
 校内に配置された十二の蜘蛛は、残らず結和那に討ち取られた。
 しかし、まだ結界は消えない。
 最後の一つ。結界の中心である、要蜘蛛が滅ぶまでは。
「ようこそ。私の巣へ」
 だから、まだ主は入れない。目の前に居るのは、人形となった結和那一人。
 巫女装束に身を包み、無表情に弓を構える。
「まずは貴女を喰らい、そしてあの男を」
 自分に刃向かうものに容赦する気などない。そもそも、あの男のちを引くということが分った以上、端から生かしておく気など無い。
 迎える瑞香は、両腕を異形とし、その背からは八本の肢を生やしている。
 蜘蛛の肢は八本。ひとの身の両手両足で四本。
 だから、これは本来の肢そのものではない。
 ひとの身に変える時に組み替えられた体。
 そこから肢の要素を集め、仮の肢としたもの。
 四本分で八本。単純に、本来の半分ほどのちから。
「それでも――ひとを裂くくらい造作もないわ」
 ――唐突に、互いに弾かれたように始まった。
 糸を放つ。矢を射る。
 糸を放つ……。
 次第、射るのを止め、糸を躱すことのみになる。
「やる気が無いというなら、別に構いはしないけれど」
 容赦なく放ち続ける。無論、そんなことは思っていない。無いといえば、今の彼女に自分の意思など欠片も無いのだが。
 何かある。あの男が、何かを仕掛けてこないはずが無い。
 ――けれど、結局、読みきることは出来なかった。
「っ!?」
 気付いた時には既に遅い。気付かぬほどにゆっくりとだったそれは、最後の一振を受け、一気に膨れ上がる。
 際限なく増幅され、精神(こころ)だけでなく、直接肉にも届くほどに。
 内に飲んだ蜘蛛を滅せられ、それと同時に、限界以上の負荷を浴びた鏡も、一つ残らず砕け散る。
「迂闊……。そんな仕掛けをしていたなんてね」
 鏡鳴陣(きょうめいじん)。四方に霊鏡、神鏡、魔鏡などと呼ばれる、力を秘めた鏡を配置する簡易結界。
 内側を異界化し、その中で術者が放った力を、さながら共鳴の如く増幅するもの。
 それを、糸を躱しながら、その身で隠し、動きで注意を逸らし――。
 そして、鳴弦。波であるちからは、肉体の強度に関わりなく浸透する。
 邪念や雑霊などとちがい、しかと肉を持ち、強大なちからを持っている瑞香に効きはしない。
 それが、油断。
 五度。際限なく連鎖増幅された波が、瑞香の――その内に呑んでいた最後の蜘蛛を滅する。
 結界が、破られた。
 その隙を逃すことなく、一気に攻勢に転じた結和那の連射。
「疾い」
 人であることの利点を残し、人であるが故の欠点を失くす。
 疾(と)く正確に。加えて、借り物とはいえ糸まで使う。
 無論、糸使いとしての能力は比べ物になるものではないが、少なくとも邪魔となるくらいには遣う。
「くっ、このっ!!」
 焦りが疎かにする。決を急きすぎ、逆にその左腕に二本、破魔の矢が突き刺さる。
 背の肢二本も、打ち折られる。
「……いいわ、私を怒らせたこと、存分に後悔させてあげましょう」
 言って、その体から――立ち上(のぼ)る。
 ゆらゆらと。
 瞬時に膨れ上がり、変化を解いた本来のすがたとなる。

 女郎蜘蛛と呼ばれるばけもの。
 身の丈七尺余。
 常種を単に巨大にしただけでなく、捕食者としてより貪欲な姿。
 金に光る八つの単眼。
 黒地に黄の八本の肢――両の手足は、一際大きな肢に。
 背甲は暗褐色の地を銀白の短毛が覆い、腹部背面は黒褐色の地に三条の黄帯が走る。
『まずは貴女を喰らいましょう』
 この形態ならば、先ほどの傷も大したことは無い。
 たっぷりとちからを秘めたこの巫女のいのちなら、補って余りある。
『楽には殺さない――と言いたいところだけれど、時間が無いから一思いにやってあげる』
『感謝なさい?』
「…………」
 あふれ出る怒りをあえて悠然に。対する巫女は、あくまでも無意。
 糸人形と糸吐きの化蜘蛛。
 両者の戦いは、同時に放った糸により幕切られた――。





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