[古夢]
 殺される。そう、体が理解した。
 周りを取り囲んだ、鬼気とした眼の群れ。
 狂気と凶気がその場を支配していた。
 各々の手に持たれたのは、鎌、鍬、鋤……。刈り取られ、耕されるのは目の前の少女。
 神隠しに遭った女が帰ってきた。そして生まれた父無(ててな)し子。
 ――いくつかの要因が彼女を”化物”とし、狩り立てる。
 根本である「人でない」ということ以外は無根。しかし、そのようなことが通用するわけはない。
 ただ全ての災厄を押し付けられ、元凶として殺されればいい。
 否。殺されなければならない。
 納得できなくとも、諦めたならば、それは既に生を放棄したに他ならない。
 その時其処に、その男が現れなければ――。
 恐らく……いや、確実に。
 彼女は。

(ん……)
 気がつけば、いつも通りの光景。今の私の巣。
 夢を、見ていたらしい。思い出すことも困難なほどの昔。
 なにを、いまさら……。
「づっ……!」
「……姉、様?」
 不意な左腕の疼きに苦痛の声を上げた時、傍らで眠っていたまゆりが目を覚ます。
「っ!?」
 何気なくこちらを見た少女が、軽く息を飲み、目を見開く。
 この程度のことで変化が解けるほどに弱っていたのか、その腕は、元の姿に――。
 黒地に黄の、毒々しい色。幾分硬質的なそれに、獲物を裂くための長大な手指。
 あまつさえ、少し濁った緑の体液が傷口から滴っている。
(ま……仕方ないわね)
 こんなものを間近で見て、嫌悪を催すのは無理もない。慣れているといえば慣れているけれど――。
「姉様、怪我をしてるんですか!?」
「――」
 虚を、つかれた。まゆりは、悲壮な、ただただこちらを心配しているだけで。
「あ、あのっ、えっと……包帯とか、何か――」
「くすっ。大丈夫、そんなに慌てなくても」
 あまりの慌てように、なんだか可笑しくなってしまった。
「ちょっと疼いただけ。放っておいても大したことはないわ」
「――それより、気味が悪いでしょう?」
「そんな、そんなこと思いません!」
「姉様のからだが、気味悪いなんて、そんなことあるはずが――」
「あ、いえ、そうじゃなくって……」
 自嘲気味に笑って見せる私に、少女は憤然と否定し、その最中に何を思ったか、顔を染めてうつむいてしまう。
「ふふ、ありがとう」
「それでは、もう一眠りしましょうか。まだ朝は遠いわ」
「――隣に居てくれるかしら?」
「……あ、は、はいっ!」
 顔どころか、全身を染める勢いで。そうして、あたふたと寄り添ってくる。
「おやすみなさいね、まゆり」
「はい、お休みなさい……姉様」


[幕間 夢亡]
「そう……今まで、いいように遣われていたというわけね」
 橙(あか)い荒野には一対の男女。
 紅い着物に身を包んだ女――瑞香が、鋭い視線を向ける。
 正面に悠然と立つ男は、その捕食者の眼光をそよと受け流し。嗤う。
『クク、傀儡遣いが糸で操るのは至極当然であろう?』
「っ……!」
『同じく糸を使い、獲物を絡め喰らう蜘蛛……そんなモノを操るのはまた格別であったよ』
 忍びやかに、嘲り笑う。
 その明らかな挑発に、瑞香の形相が、放つ気配が、怒色を増していく。
 男は、ゆっくりと間合いを計る。全身から余分な力を抜き、意識を眼前の女と、自身の両手に集める。
 相手が行動を起こした瞬間、こちらも糸を使う。
 どちらも人外。けれど、単純な肉体の強さでいえば、相手が圧倒的に勝っている。
 ギリギリと、今にも弾けそうなほどに張り詰めた空気が場を満たす。
(そう。儂はこの時こそを――)

『ふむ……』
『懐かしい夢だな』
 神社脇の森。夜露を凌ぐために潜り込んだ、巨木の洞(うろ)から這い出る。
 わずかに冷えた夜風が、体を巻く。
『あるいは、この場所ゆえかもしれんな』
 彼女と出会い――そして、始めにやりあった地。
 因縁といえば、これほど縁の深い場所もないだろう。
『終りが再び此処というのも……』
 ゆるりと体を伸ばし、星明りに右手をかざし見る。
『拵えた右腕も、ようやっと馴染んできたか』
 前回の争いで、根元から千切り落とされた右腕。力を込めると、かすかに糸と歯車の音。
 新しい腕を披露するその時を思い、男はかすかに笑みを浮かべる。
『儂の傷が癒えた時が宴の始まりよ』
 低く、暗く。嗤い声が、夜へ溶けていった。


[執心]
「本当に面白い娘(こ)」
 珍しく、昼休みにまゆりの教室まで迎えに行ってやりながら。
 がらになく、思い出し笑いなどしてしまう。
 昨日の、まゆりの言葉。
「『嫌、なんです。姉様が、他の人に目を向けるの』か」
 ひとの精気、生気、あるいは命そのものを糧とする自分に。それでも、と。
 哀れなほどにひたむきなそれに、また気まぐれを起こした。
 結局目をつけていた少女は見逃し、これからも、そんなことはしないと。
「甘い……かしらね」
 彼女の願いを聞いたことか。今こうして彼女の所へわざわざ足を運んでいることか。
 おそらく両方ともが。
 それでも、不思議に悪い気はしなかった。
「まぁ、私は気まぐれだから」
 そんな風に、可笑しげに呟きながら。


[暇隙夜話]
「ねぇ、姉様……」
「なにかしら?」
 瑞香の柔らかなからだにゆったりと凭れかかり、まどろむ。
 いつも通りの、夜の光景。
 母はとうに亡くし、仕事人間の父はほとんど帰らない。なまじ広いだけに、いっそう寒々とした家。
 だからこうして、夕刻より夜の更けるまで彼女の”巣”に入り浸っている。
 まゆりにとって、一番安らげるとき。
 瑞香もまんざらではない様子で。
 ふたり、穏やかに時の流れるのを眺めている。
「姉様って、ここに傷を癒すためにいるんですよね」
「そう。宿敵……ともいえる相手と争ってね」
「いまのすがたでは見えないけれど、幾つもの大きな傷が残っているわ」
「傷が治ってしまえば――」
「出て行く、わね。あくまでも、ここは仮宿にすぎないのだから」
 今度こそ終わりにするために。
 傷を治し、ちからをつけ、あれを仕留める。
「その時……」
「ええ。あなたがそうしたいのなら、ついて来てもかまわないわ」
「あなたはどうするのかしら? 私と、一緒に来たい?」
 彼女が望む答えを返す。
 瑞香にとってはとるに足らないことだが、それでも――全てが終わったとき。
 自分がまだ生きていたならば。
(そういうのも、悪くはないかしらね)
「あ……はい!」
 途端に満面の笑みを浮かべる少女。
 親、友人……取り巻く世界から隔絶し、されている彼女には、この瑞香という妖姫だけしかいない。
 今までは何もなかった。けれど、今はたった一つだけの、とても大切なものが。
 だからこそ、失う懼れはより強く。
「…………」
 まゆりの様子は、何かを思い出しそうになる。
 とおいむかしの――なにか、大事だったかもしれないものを。
 しかし、それはいつものように打ち切られる。
 このときは、当のまゆりによって。
「あっ、ほら、姉様って甘いものが好きじゃないですか」
「ええ。そう、かしらね」
 当時はそんなものは無かったし、簡単に手に入る頃には、そんなものはとうに食べなくなっていた。
 だから、珍しいだけかもしれない。けれども、やはり好きなのだろうか。 
「喫茶店があるんです」
「喫茶……店?」
「雰囲気がすごく良くって、落ち着いた感じで……。それに、みんなすごく美味しいし」
 中でもラズベリーのタルトが――などと、珍しく饒舌になる少女。
 微笑ましい。いつもと違った、いつもと同じだけの可愛らしさ。
 そばにいるだけで、こんなにも心が温まる。 
「そうね。楽しみにしていましょうか」
「はいっ。わたしも、楽しみです」


[幻影]
「夕焼け……綺麗、ですね」
「そうね」
 東校舎の屋上。夕陽に染まる空を見ていた瑞香は、やって来たまゆりに上の空で返す。
 遠く、いつかのあの日も。
 こんな風に、紅く染まっていた……。

 あの時、殺されるはずだった瑞香は、一人の男に救われた。
 救われた――というと語弊があるかもしれない。
『自ら死を選ぶ? 愚かな』
『相手が、生きるために殺すというのなら、お前もそうすればよいのだ』
 男はそう言って、糸を使って瑞香を操り、村人を皆殺しにした。
 我に返った瑞香は、夥しい死に悲しみ、それをさせた男を睨みつけ、詰った。
『生きることを放棄するのは、自分自身と、それを生み出した者に対する冒涜に過ぎぬ』
 ……自分より遥かに長く生きているという、その男の言に誑かされた。
 結局男と共に旅をし、男を慕い、彼の為にも何十何百と死を重ねた。
 それが、単なる自己満足で。男にとって、自分が操る人形の一つに過ぎないのだと気付いた日。
 決別と、延々と続く殺し合いの、始まりのとき。
 その日の夕焼けを重ね見る。
 まゆりも同じように。こちらは、夕日ではなく、それを見る瑞香を眺め。
 その紅が、やがて紫に変わるまで。
 二人はただじっと、時を流した。


[幕間 吾亦紅]
「夕焼け……綺麗、ですね」
「そうね」

 本当に綺麗なのは、夕陽に染まった瑞香そのもの。
 ぼう、と少女は思わず見惚れている。
 惹かれている。遠い、いつかを想っているその横顔に。
 鈴坂瑞香という、その存在に。
 気まぐれで、悪戯好きで、優しくて、あたたかくて。
 はじめて見た時からずっと。
 少女にとって「姉様」だけが全て。
 彼女と一緒に居られるのなら、他に欲しいものはない。
(姉様、自分のことはあまり話してくれないけれど……)
 もっと知りたい。彼女のいろいろなことを。
「いつか……」
「?」
 一緒に歩けるのだろうか。色々なところを。肩を並べて。


[幕間 宴場]
『ふむ。やはり策を講じねばならぬか』
 校門の先に手を伸ばそうとし――弾かれる。軽い痺れ。
 押し入ろうとするならば、この身が消し飛ぶだろう。
 力量の差でなく、その性の違い。ちからの種が異なるほどに反発は強くなる。
 出てくるのを待つか、さもなければ、なんとかして結界を破る必要がある。
『しても、面白い所を選んだものよ』
 夜の闇に溶けるような男が、独り呟く。
「学校」という場所は、きわめて特異な閉鎖空間である。
 部外者が入ってくることなど、何らかの行事を除いてはまず無いといっていい。
 それだけに、一度入り込んでしまえば、人目に付くという心配がない。
 加えていえば、「餌」としての質。
 精気、生気……あるいは身を喰らうことで命そのものを糧とする者にとって、生命力に溢れ、魂の純粋性を保っている者は極上品である。
『その機構自体が一種の”結界”――外と隔絶された領域』
『中の餌は、無作為に選ぶよりも上質』
『なれば、此度の戦い……格段に愉しめような?』






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