[幕間 虹風]
「あらぁ……? まゆりちゃん」
「えっ――結和那さん?」
 学校帰り――といっても、姉様と過ごした後で、夜の十時過ぎ。
 校門を出てすこし行った所で、彼女と出会う。
 梓咲結和那(しざきゆわな)。この近くの神社の娘さんで、家を出て働いてるお姉さんが一人。
「姉さんが出てっちゃったから、父さんは私に継いで欲しがってるのよ」
 そう言ってたっけ。
 すごく面倒見のいい人で、誰にでも優しい。
 私も、何度か助けてもらったことがある。
「お久しぶりねぇ」
「……ええ、本当に」
 今よりもずっと前。中学生だった頃に私を助けてくれた、いわば命の恩人だったりする。
 家族のこと、学校での虐め。いろいろなことが一杯になって、神社の石段のところで俯いて泣いてたら、優しく話しかけてくれたひと。
 溜めていた全部を聞いてくれて。
『”死ぬ気になれば”なんてよく言いますけど、死んじゃう方がずっと簡単なんです』
『だから、辛くても、悲しくても――頑張って生きないと。自分に負けちゃうなんて、一番情けないんですから』
 そう、言ってくれたひと。
 本当に――懐かしい。
「どうしたのぉ? こんな遅くに」
「ええ……ちょっと。結和那さんこそ」
「ん〜〜? お勤めだよぉ?」
 話をそらそうとしてそう返すと、結和那さんはいつもと違う口調と声で返事をする。
 なんとなく後ろめたくって動転してたけど。そういえば、最初からそんなだったような。
 ……なんだか、変に陽気な感じ。それに――
「お酒、臭いですよ」
「あはは。”お神酒あがらぬ神はなし”ってねぇ」
 わっ、本当に酔ってる。えっと、”へべれけ”っていうんだっけ?
 意味は分らないけど、音の感じがそのまんまというか。
「大丈夫ですか? また道で寝てちゃ駄目ですよ?」
「だ〜いじょうぶ。そんなに心配しなくってもぉ」
 結和那さんは、思いっきりお酒に弱い。その上、普段の反動か、すごくだらしなくなっちゃう。
 それでも、強く勧められると断れなくて飲んじゃうところが、彼女らしいというか……。
「本当、気をつけてくださいね」
「は〜い。まゆりちゃんもねぇ」
 そうやって、久しぶりの恩人との再会は、なんだか変な感じで終わってしまった。


[幕間 弦糸]
『ほう……』
 男が見下ろしているのは、先ほどまでまゆりと話していた女。
 結局時をおかずして眠ってしまった女を、けれど今この場でどうこうするつもりは無い。
『アレのにおいを纏う娘……その知り合いか』
『直接僕(しもべ)を操るよりも、こちらの方が楽しめるか』 
 そこで、初めて気付く。それは、この宴をより飾るであろう華。
『これはまた……面白い』
 ぽつりと、呟く声。女が持っている包みから漏れ出る気配は、男にとって懐かしいもの。
『まだ残っていたか。我が傑作の一つ。アレの糸も、身も断ち切る逸品を』
『奇縁。――喜べ娘。此度の仕掛けは揃うたぞ』
 夜を通して、その相手に伝えようとでもいうように。


[幕間 歯車]
「うう、急がないといけませんね〜」
 遅くなってしまった。
 ちょっとしたお使いに出ただけ。うちの神社のお得意様のところまで、守り札を届けに。
 大義名分があるといっても、さすがに夜の十時は門限破りの雷が落ちる。
 ついつい長居して――まぁ、その原因の大半は、彼女の出してくれたお茶とお菓子が、本当に美味しかったからなのだけど。
「うちじゃ、ああいった高級品は縁が無いのよね」
 実を言うと、それがこうやってお使いに行く理由である。片道二時間もかけて。
「……ん?」
「まゆり、ちゃん?」
 急いで走っていると、前方に見慣れた人影。
 少し離れてるけど、間違いなく彼女だ。こんな時間に、学校に?
 そのまま、入って行ってしまう。
(ん……)
 なんてことはない。そう、思うんだけど。
 なんとなく胸騒ぎがして。
 そうして一歩、校内に入った瞬間。その疑念が確信に変わる。
「え――?」
 そこは、明らかにおかしかった。
 入った瞬間に違和感を覚える。どこか別の世界にでも紛れ込んだかと思うほどの、空気の違い。
「……」
 何かが起きているのは間違いないと思う。
 幸い、武器となるものも持ってる。万が一何かあっても、きっと大丈夫。
 意を決し、もうほとんど見えなくなってしまってる彼女の後を追った。


[祓]
「あら……なにか?」
「その気配。あなた、人ではないですね」
 あくまで静かに問う女に対し、結和那は冷たく言い放つ。
 東校舎一階廊下。結局まゆりを見失ったものの、近づくにつれ濃くなる気配を辿って。
 そうして出逢う。瑞香という妖姫と。
「……勘が鋭いのね。それで?」
「此処をおかしくしているのも、まゆりちゃんを呼んだのも、あなたですね?」
「だとしたら?」
「申し訳ありませんが、彼女は大事な友人ですので、力づくでも返していただきます」
 得物は弓。
 年代物と一目でわかる、朱塗りの半弓。
 背負っていた包みを解き、取り出し構える。
「……いいわ。その思い上がり、正してあげましょう」

 風切り音が鋭く響く。
 速射。
 射法八節の無い、全てが一動作。
「意外。今時これ程の遣い手がいるなんてね」
 携えた弓よりもたらされるのは、特別製の”破魔の矢”。
 妖(あやかし)である瑞香にとって、致命傷ではないにしても、けして楽観できない傷を与えるもの。
 放たれる矢の全てを大量の糸によって打ち落とす。
 少量であれば、溶かし、そのまま襲い来る故に。
「これで終わりなさいっ!」
 矢を落とすためよりも多く。
 一条、また一条。
 次矢を射るその瞬間。
 糸の束が複雑な軌跡を描き、同時に四方から捕らえんと飛ぶ。
「ふっ――!」
 一歩、大きく退き、手にした弓……その弦でもって迫り来る糸を払う。
 人の力では勿論、尋常な刃では傷つけることも適わないそれを、あっさりと。
 紙を割くよりも鮮やかに。
「っ!?」
 とっさに後ろに跳ぶ。間髪いれず射ち込まれる矢を、何とか凌ぐ。
 退いた距離の分だけの余裕。突然の事態に硬直していたとしたら、そのまま受けていただろう。
 凄まじいまでの生存本能。
「……」
「……」
 互いに動きを止め、見合う。
 次なる一を踏み出すその前に、思いもかけない声が二人を止める。
「姉様っ!? 梓咲さん!?」
「まゆりっ!?」「まゆりちゃん!?」
 思わず三人顔を見合わせ、だれからともなく、ひとまずの中止が提案された。

「つまり、害は無い。そういうんですか?」
 廊下での立ち話なんだというので、瑞香の巣で。
 一通り、まゆりの説明――弁護を受けるも、まだ硬い。
 それも当然。こういったモノは人を誑かすものだし、見ていれば少女が、この妖姫に特別な感情をもっているということがよく分る。
 それから、さらに十分余り。二人と言葉を交わし、ようやく少し納得する。
「……そのことは良しとします。少なくとも、ここにいる間は危害を加えることは無いようですし」
「彼女の精気を奪う以外は」
「!!」
「わたしは姉様に奪われているなんて、そんなこと思ってもいません!!」
「……あなたがそこまで言うなら、私はとりあえず引きます」
 当人が納得づくであれば、関わることではない、と。
(まぁ、よくよく見てみれば、それ程危険な感じはしませんしね)
 先ほどは「妹のように可愛がっていた少女の危機!」などと動転してしまったが。
 それに――なんというか、彼女にも春が来たというかなんというか。
(んーー、同性で、しかも人じゃないというのは……。まぁ、別にいいですけど)
 結和那としては、そこについてとやかく言うつもりは無い。
「それこそ昔なら、人と神――人と妖(あやかし)が結ばれることも、そう珍しくは無かったのだし」というのは、神社の娘ならではの見方か。
「えぇと、勝手に襲っておいてすいませんが。引かせて――もらえますか?」
「あなたが収めるというのなら、ね」
「一応、謝っておきます。では」
 そうして、あっさりと立ち去る。
「ふぅ。騒がしかったこと」
「姉様」
「……なに? まゆり」
「あの、ごめんなさい」
「どうして貴女が謝るのかしら?」
「いえ」
 なんとなく、だろう。どうも彼女には、そうやって自分を悪くとる癖があるようだ。
「嫌われたくない」という感情からのようだが、そんなところが、ちょっかいをかけられる原因のひとつかもしれない。
「気にしなくていいわ。不快な思いをした、というわけでもないし」
「――それより」
「あっ、はい」
 少女が蓋を開けると、中からいい香りが。もう一つの盆には、淹れたての茶。
「温かいほうが美味しいということだったわね」
「はい。今回のは、ちょっと自信あるんです」
「それじゃあ、いただきましょうか」
 そうして二人は、とりなすように、夜の宴をやり直すのだった。


[幕間 織糸]
「久しぶりに彼女に会いましたが、幸せそうでしたね」
 住宅街から少しはなれたところにある、小高い山の中腹。長い石段を登った先に、結和那の家である神社がある。
 木々覆われるように建っているそれは、神秘的とは言えるかもしれない。
 ――が、落葉の季節ということもあり、毎日毎日落ち葉掃きが忙しい。
 たった一人の巫女であり、自然雑用係も兼ねている結和那は、今日の仕事をある程度終わらせ、石段に座りこんで休憩中。
 ぼーっと、昨日の夜のこと、まゆりのことを思い浮かべている。
「見違えた――っていったらいいのかな」
 少なくとも、結和那はあんな彼女を見たことがない。
 大切な者のために、ひたむきなまでに思いをぶつけてくる。
 結和那が知っているのは、おどおどとした、引っ込み思案の少女。
「そっか……もう四年にもなるんだっけ」
 姉が逃げて、自分が後継とされた。魔を討ち、妖(よう)を滅するという、時代錯誤の使命感を持ち続けた神社。
 毎日の厳しい修行に耐え兼ね、家を飛び出し――そうとした。
 そんなとき、石段に座り込んでいたのが、彼女だった。
 自分以上に落ち込んでいるらしい少女の話を聞き、励ました。
『自分に負けちゃうなんて、一番情けないんですから』
 という言葉は、半分は自分自身に向けたもの。
 ひとにそんなことを言った以上、自分が負けてしまうわけにはいかない。
 そんな気持ちで、なんとか乗り越えてきた。
「まゆりちゃんが強くなってくれて、嬉しいです」
 それには、あの妖姫の占めるところが大きいのだろうけど。
「恋人か……。うん、ちょっと憧れるかな」
「あっ、私は男のひとでお願いしますね?」
 誰にともなく、そうおかしげに言った後、石段から立ち上がり、袴についた砂を払う。
「さ、暗くならないうちに、掃除を終わらせちゃいますか」
 箒を右手に「う〜ん」と背を伸ばす。
 いつかと同じような夕焼けが、嬉しげに箒を動かす彼女を染めていた。


[結縁 〜遥〜]
「……」
 ゆっくりとした風が、瑞香の髪を梳いて去る。
 東校舎屋上。他よりも一階分高く、それだけ空に近い。
 流れ去る風、流れ去る時……。
 何とはなしに無情を感じ、軽く苦笑する。
「感傷、か。そうね、このおままごとも、もうすぐお仕舞い」
 一月。数日前の少女の来襲を除けば、何があったというほどのこともなく。
 結局はただ少女と戯れていただけ。
 彼女の頼みを聞く形で他者を喰らっていないため、ちからをつけるどころか、傷がようやっと塞がった程度。
 準備万端とは程遠いありさまである。
「姉様っ!」
 扉を開けて走りよってくる少女。
「あら」
「探しましたっ……」
 息を切らせるその手には、かわいらしい包みの弁当箱。
「少し、風をみていたのよ」
「はぁ……」
「それでは、今日はここにしましょうか?」
「あっ、そうですね」
 準備よく持って来ていたシートを敷く。まゆり自身が潔癖症というのではなく、瑞香に対してのもの。
 無用ではあるものの、その気遣いも可愛らしいと思う。
「そうね……。まぁ、つまらなくはなかったから」
「――えっ? 姉様、なにか?」
「いいえ。そういえば、今日は満月だったかしら」
「お月見、でもしましょうか?」
「……姉様から誘ってもらえるなんて」
 何気なく振った話だが、どうやら少女をいたく感激させたらしい。
「わたし、すごく楽しみです」
「そう。それは良かった」
 そう言う瑞香の表情も、いつもより、ほんの少しだけ柔らかかった。


[結縁 〜風詠月〜]
「綺麗……ですね」
 学校の中庭。芝生の上にシートを敷き、その上に座る。
 コートとマフラーを着けたまゆりが、見事な満月を見上げてぼうっと呟く。
「そうね。こうして月見というのも、悪くはないわ」
 いつの間にそんなに経っていたのか。着実に冬は近づいている。
 もっとも、冬までここに居ることはまずない。
 この月が欠ける頃には――。
「はい。ですから、今日はお団子です」
 魔法瓶に入った温かい茶と一緒に差し出してくる。
「ふふ」
「あなたの作るものは、みな美味しいわね」
「あっ……」
 褒められたことか、自分の作った物で喜んでくれているということか。
 まゆりは顔を真っ赤に染めて、思い切り照れる。
「さ……こっちへ」
 少女を招き、寄り添うように座らせる。
「少し、寒いでしょう」
「いえ……あったかいです。姉様と一緒だから」
「それはよかったわね」
 小動物を愛でるように。
 そうして、顔を上げ、叢雲掛かった満月を見る。
「一緒に月でも眺めましょうか」
「そうですね。ほんとに綺麗……」
 冷えかかった風が、否応無しに終わりが近いことを感じさせる。
 それでも、このときだけは……。ゆっくりと、おだやかに。


[幕間 鏡反]
「あの、なにか?」
 つけられてることは分ってた。
 なんのつもりか――もしかしたら、ただ不用意なだけかもしれないけど。月明かりで出来た影が、こっちにまで伸びてる。
 満月の晩、この時期恒例の月見の宴の帰り。なんていうか、せっかくの良い気分が台無し。
 気付いたのは、そう、前に酔って帰った時、まゆりちゃんに会った辺り。
 そこからつかずはなれず、一キロ近い道のりを、ずっと。
 一応、無関係なんて希望的観測を持ったんだけど。いい加減、我慢できなくなった。
 神社(いえ)まで着いて来られるなんて、ゴメンだし。
『――なに、思案しておったのだ』
「っ!?」
 振り向き、声をかけたら、誰もいなくて。
 すぐ後ろ。そう、息が掛かるくらい近くに。
『あやつのにおいを纏うておるおぬしに、ちと頼みたいことがあってな』

 軽く、暗い嗤いを上げ、何ほども無かったようにゆっくりと立ち去る。
 ふらり。糸で引かれるように、その後を結和那が着く。
『さて、愛しき娘よ。汝(な)が為の趣向、存分に味わえよ……』






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