[暗殺者の夢3 〜月光〜]
「でもね、最初に助けようと思ったのは――」
 月光を浴び、夜道を行く二人。やたらと腕を組みたがる女に、仕方なく従う男。自然、顔に照れが出る。恥かしい。
 今夜もそうやって歩いていると、二人が最初に出会った時の話になる。
 組んでいた腕を外し、二、三歩前に出てくるりと振り返り。
「ん?」
「顔がね、気に入ったんだ」
 くすっと笑みを浮かべる。
「……自分では、あまり上等とは思わんがな」
 思わず苦笑いを浮かべ、返す。そう言ってはいるが、実際のところ、この男、第一級の美男子である。もう少し行けば「キツイ顔立ち」になるだろう。その半歩手前。
 とっつきにくい雰囲気をまとわせているため、面と向かって声をかけてきたりする者はほとんどいないが、昔は随分もてた。
 ……もっとも、そういう方面に興味が無かった彼には「からまれる」のとたいして変わらなかったのだが。
 そういうわけで、決して上等ではない。少なくとも、彼にとっては。
「もぉ。顔立ちじゃなくて、表情がね」
「優しそうだったか?」
 半分――いや、完全にからかっている。
「……真面目な話をしているつもりなんですけど?」
 ちょっとむくれたように。もちろん、こちらも本気ではない。
「わるい。ま、たまにはな」
 そのくるくる変わる表情を眺め――なんというか、微笑ましいというか、幸せを感じながら。
 よほど親しくない限り、こんなことは言わない男である。
「で?」
 とりあえず仕切りなおさせる。
「そう――」
 ――すごく、寂しそうだったのよ。まるで、捨てられた子犬みたいにね。

「……」
 さすがに「捨てられた子犬」とまで言われ、少々ショックを受ける。
「言い換えると、悲しそうで苦しそう。って、ところかな」
 言い換えるというか、相手の精神的ダメージを考慮して、か。
「放っておけない――か」
「一応とはいえ、神術士だしね。それに、運命……を、感じたと思ったのよ」
 少し照れたようにに話す。さすがに。”運命”などという、夢見る少女のようなことを、二十を越えて言うのだから、やっぱり恥かしいか。
「実際、間違ってなかったと思うわ。だって――」
 今、とっても幸せだもの。

「はー。こういう話ししてると、まさに“結婚前夜”って感じよね」
 ニヤニヤとしつつ、腕をつついてくる女。
 お約束ってやつですか。昔話とか何とか。残念ながら、二人は幼馴染みではないが。
「……そうそう、ファルクとソォトが来るらしいぞ」
 まぁ、言ってみれば、恋のライバル。二人ともクードの古くからの親友で、エリスを紹介すると、二人とも一目で惚れた。
「あは! なんて言ってた?」
「聞きたい聞きたい」と、身を乗り出してくる。
「『まぁ、彼女がそれでいいというのなら、非常〜〜に不本意ながら、認めてやるよ』だ」
 半分笑いながらだったが、もう半分は本気。
……その後、二人のやけ酒に付き合わされ、えんえんと愚痴を聞かされ続けた。
 けして嫌ではなかったが。
「それで、明日聞かされる台詞は――」
「「エリスを悲しませるようなことがあったら、すぐさま飛んで来るぞ!!」」
 二人の言葉が、見事にタイミングまでぴったりと一致する。
「……」
「はははっ」
「フフッ」
 やけに月の綺麗な夜だった。
満天の星空を見上げると、この世の全てが自分たち二人を祝福している。そんな気になるような――。


[夢のあと]
 ……。
「…………」
 最近、やけに昔の夢を見る。特に今夜のは、こんな仕事をやっていながら、心から安らいでいた……安らげていた時。
「まだ、少し痛むな」
 痛み自体が無くなることはない。いや、そんな事はあってはならないこと。
 けして忘れてはいけない、大事なひとかけら。
(だが、それが懐かしさをともなう――)
 一種、心地よいとすら言えるような痛みになるなら。
 そうなるのはいつのことか。
 少なくとも今は、痛みに耐えられず、思い出さないように。
(無意識の底へ押し込んで――か)
 それを言ってくれた人は、もういないけれど。
「三十にもなって……まだまだだな」

「父様……クード」
 黄昏(たそが)れていると、隣で寝ているお嬢様が寝言をいう。
 様子からして、うなされているらしい。「クード」というのも、自分ではない、もっと他の者のことらしい。大事な、人だったのか。
「……」
 あらためて見ると、やはり十一歳の少女にすぎない。天才と言われるほどに頭が良くても、性格的にも大人同様であっても。
 それでも、自分よりも他人を気にする。先夜のクードへの気遣い。その優しさ。
「……護ってやるさ。今度こそな」
 それは、喪った妻と娘に対しての代償行為でしかないのかもしれない。だが、それでも前に進むには、それ以外の方法が思いつかない。
「『本当に正しいのかと悩むよりも、正しいと思ったことに対して全力で頑張る。その方が、よほど前向き』……だな」
 乗りかかった船というのも変な話だが、すでに歯車は回っている。いまさら考えるようなことではない。
「それに――」
 正直、この少女自身に惹かれている自分がいる。……惹かれている、というと誤解があるかもしれないが。
 もうじき夜が明ける。
 結論は出なくとも、時が止まるわけではない。全ては――これからの。
「課題だな」


[休息]
「ほう、珍しいな」
 何だかんだで毎日街を歩くのが日課となっている。
 かなり大きな街で、見る物に事欠かないが、中でも露店、屋台などが並ぶ通りはファーリアのお気に入りである。
(ま、俺自身もこの活気は嫌いではないな)
 しっかりとした店舗を構えているのと違って、通るだけでその熱気が感じられるような気がする。
 そこで、この辺りでは見かけない果物類を売っているのを見る。
「らっしゃい」
「へ〜……」
 今まで見たことのない物達に、目を奪われる少女。
「どれも、この近辺では採れない物ばかりだな」
 中には、ずっと南の国でしか採れない物も混じっている。
「やっぱり商売やるなら、人が扱ってるような物は面白くないと思いましてね」
 誇らしげに言う。どうやら行商人の類らしい。その目は野望に燃えている。
「……それはいいが」
 見た所、どれも鮮度はとても良い。だが。
「結構苦労してるんですよ。氷を使うっても傷むには変わりないし、保存の魔法をかけてもらうのはかなり高い」
 転送の術ならば、もっと高い。
「何とかコストを下げられればいいんですがね」
 たしかに、現地で買うよりもずっと値が張っている。
「物珍しさと、金持ちが面白がって買ってくれるんで、何とかやってますがね」

「うっ、なに……これ」
 苦笑しつつ語る商人の耳に、少女の声が届く。
(腐ってる?)
 そうとしか思えないような、なんとも言えない臭い。
 例えてみれば、どろどろに腐って異臭を放つ玉ねぎを抱え、ありとあらゆる汚水が流れ込んで淀んでいるどぶ川にどっぷりと浸かっているような、そんな強烈な……。
「ああ、腐ってるんじゃない。ドリアンといってな。そういう果物だ」
 その特徴から、一度見れば――嗅げば忘れない。
「果物の王様。なんて呼ばれてます」
 高価であるにも関わらず、一度食べれば、借金してでも食べたくなることから「悪魔の果物」とも。
「どうです、ひとつ?」
「そうだな。もらおうか」
 ファーリアが断ろうとするより早く。
「まいど!」

「ほら、食ってみろ」
 でっぱった部分の裂け目に手をかけ、あっさりと引き裂き、その片割れを手渡す。
「え、ええ……」
 おそるおそる。スプーンですくって、一口。
(あ……)
 思っていたほどひどくない。というより、むしろ。
「美味しい……かしら」
 ねっとりとして、かなり甘い。
「”ベルパエゼチーズにミルクを加え、ヤシの果汁とクルミとバナナを混ぜ合わせて練ったような、こってりとした味”ってやつです」
(……よけいに分からないって)
 少女の冷静なツッコミ。
「まぁ、言ってる俺自体『その説明で分かる人がいるのか?』とか思いますけどね」
 愉快そうに笑う。そして一つ手にとり、割って、食べ出す。
(商売物なのに……)
 まぁ、彼の物なのだから、別にいいのだろうけど。

「中々美味いな」
 半分を食べてみたクードが言う。
 実際当たり外れの大きい果物で、美味いものは百に一つとまで言われる。
 初めに不味い物を食べれば、臭いと共に「どうしてそんなゲテモノを皆喜んで食べるんだ?」と思うだろう。
「こういうのも目利きって言うんですかね? わざわざこんな商売しようってぐらいですから」
 伊達ではない、と。
「面白かったわ。また来るわね」
「二、三日は出してるんで、またどうぞ〜」

「ほんと、あの臭い」
 くすくす思い出し笑いをする。
「楽しかったか?」
「ええ、とっても」
 満足そうに「う〜ん」と伸びをする。
「ねえ」
「いろいろ、旅したんでしょ?」
「まぁな」
 あてもなく、あるいは――復讐の為に。
「今度、聞かせてくれない?」
 面白いことを、たくさん。
「ああ。今度――な」
 意地悪く言ってみる。
「……訂正。今日の夜にでも」
「はいはい。かしこまりました、お嬢様」


[”元”領主]
 この三日ほど、ファーリアは「配達所」へと足を運んでいる。日に一度か二度。一枚から三枚の手紙を送っている。
 
配達所とは、各領、各国の政府が手を結び、手紙や荷物などを輸送するネットワーク。その端末。何かあれば政府が出張ってくるので、正規の配達便の格好をしている者を、わざわざ襲う者などそういない。
この仕組みが出来るまでに有った民間のものに比べ、非常に配達率が高い。かなり優秀なシステムである。
 また、値こそ張るものの、オプションとして「魔術転送」がある。文字通り、魔術士が転移転送の術を使い、目的地最寄りの配達所に送る(距離があれば、何度か継いで)。これを使えば、たとえ別の大陸へでも、その日の内に届けることが可能。
「生き物はお断りしています」……所員談。運ぶ際に色々と問題が起きることが有るし、コスト等の計算もしづらい。術で送ることは出来るが、物を送るそれとは違う、より高度な術で、とても魔力消費が大きく、そのため非常に高価となっている。

「で、お嬢様は、そんなものを使って、何をしているんだい?」
 最初の時にそう聞いてみた。
曰く「根回しと、舞台、出演者の用意」らしい。この状況に終止符を打つ準備、といったところか。
「ま、その方面は任せるさ」
 クードも、馬鹿ではないが、政治方面のこと、その駆け引きなどにはとんと疎い。それ以前に、この辺の状勢、状況がどうなのかといったことなども、全く知らない。
 そんなわけで、黙って護衛役を務めている。

「……たまには一人で、ね」
 何か小用があったらしく「終わったら、入り口で待っておけ。絶対にふらふらするなよ」と言われたが、大人しくできない性格である。
 ここなら近いし。と、出てすぐの露店が並ぶ通りを見て歩く。やはり、一人の方が気楽でいいのは確か。
 そんな事を思いながら歩いていると。
「そこの可愛いお嬢さん」
 呼び止められて、振り返る。物売りのお世辞だと分かっていても、やはり嬉しいものだ。
「え?」
「うん、やっぱり」
人の良い商人といった感じの中年男性が「やっぱり可愛いね〜」と言うように、うんうん頷いている。
 どうやら、彼女に目をつけたらしく。
「これこれ。旅先で仕入れたんだけど、見てごらん」
 そう言って、小さめの髪飾りを手渡す。
「……綺麗ね」
 銀を基調に、いくつかの宝石をあしらっている。細工は精緻で上品。飾られている宝石も、下手に置けば下品になるところを、どこまでも上品に演出している。
「”月の妖精”って名前でね。西の大陸の有名な職人が作ったのさ」
「どうだい?」
「う〜ん……」
 ファーリアは、別に装飾品などに興味がある方ではないが、これは別格だ。
 蔦が絡まった月、その下で踊る妖精たち……。見ていると、吸い込まれそうにすらなる。
「安くしとくよ。二万でどうだい?」
「……」
 非常に高いというものでも無いが、一般向けでないのは確かだ。まぁ、着ている物を見て声をかけてきたのだろうが、正直一人歩きしている子供に勧めるものでは無い気がする。
「一度着けてみたら?」
 さらに勧めてくる。が、とりあえず身に付けるのはやめておいた。なんと言うか、いやな予感がする。何がどう、というのではない、ただの勘なのだが。
「う〜ん……残念ながら」
 断って、髪飾りを渡す。
「そうかい。似合う人にしか売りたくないんだよな〜。ま、仕方ないか」
 未練を残しつつも、商人は受け取る。
「それじゃ」
「……ん?」
 去ろうとしている彼女を見、何か気付いた様子。
「なにか?」
「いえね」
 そう区切って。
「隣の――そう“簒奪(さんだつ)領主(りょうしゅ)”なんて呼ばれてるのが治めてる、あの。あそこの元領主様ってのが」
 とうとつに話し始める。……なんというか、雲行きが怪しくなってくる。
「まだ十一歳の少女なんですがね。なんだか……」
「やけに、似てるな――なんて、ね」

「……。髪飾りに毒でも塗ってあったのかしら?」
 おそらく、誘眠か麻痺系。
「そうさ。着けてくれればそれで終わったんだがなぁ」
 ニヤニヤと笑いつつも、残念そうに言う。気絶するなりなんなりしたところを、介抱を装って運ぶつもりだったか。
「なんだか、いやな予感がしたから」
「用心深いことて」
 基本的に、そういった勘には従うようにしている。それで命が助かった事も、数度。
「で、どうする気かしら?」
 さすがに、自分だけでどうにかできるとは思わない。時間稼ぎ。この状況を打破してくれる“護衛”が来るまでの。
「そうだねぇ、大声を出されると困るんだよね。『傷をつけずお持ち帰り』でさえなけりゃ、もうちょっと楽なんだが――」
「!?」
 懐に忍ばせた手を出そうとした瞬間、表情が一変する。首元に白刃を突きつけられたような感覚。
「とりあえず、今度だけは見逃してやる。さっさと失せろ」
 気配も無く、背後に立ったのは、クーディアス・フェルン。剣を抜くどころか、柄に手をかけてさえいない状況で、このプレッシャー。
「わーった。退散します。もう二度と現れません。だから『やっぱり殺しとこう』ってのは無しの方向で」
 泣き笑いの状態で、それでも広げてある荷を纏める。終わると、振り返りもせず、一目散に走り去る。
(顔を見たら、殺されるとでも思ったのかしらね……)
 実際、もう二度と会う事は無いだろう。今現在どう思っていようと、一息ついて、自分の上着の背がバッサリ斬られているのに気付けば。

「まったく、一人で出かけるなと言ったろう。面倒見きれんぞ」
 半ば呆れた様子でたしなめる。狙われているという自覚が無いのか、自分だけは大丈夫とでも思っているのか、あるいは「何も考えていない」のか……。
「ちゃんと護ってくれたわね」
 ……どうやら、彼の事を信頼しきってのことだったらしい。
「当たり前だ。仕事だからな」
 憮然としたまま。信頼されて悪い気はしないものの、こういう気疲れするようなことは勘弁してもらいたい。
「そう」
 相手の表情も、発している雰囲気も意に介さず――黙殺する。
「それより」
 じっと少女を見つめる。
「さきほどの話」
「何の話?」
 わかっていないわけも無いのだが、あえて。
「とぼけるな」
 即座に。怒ってはいないが、そう見せようとしていないこともない。
「元領主……だと?」
「だとしたら?」
 あっさりと、何でもないことのように言い放つ。だがそれは、道に石ころが転がっているような、そんなどうでもいい話ではない。
「で、お嬢様を狙っていらっしゃる相手は領主……」
 先刻の、商人に化けた刺客の話からすると。
「そうなるのかしらね」
「ついでに言えば、私の伯父。まぁ、よくある話よ」
「……」
 言葉がうまく出てこない。
「……まったく、実にやっかいな仕事を負ったものだ」
 何となく天を仰ぎ見る。ついさっきまで青空だったのだが……ちょうど、雲が太陽を隠していた。

「出てくる駒の数は無尽蔵に近い」
 財力という点でもそうだが、そもそも軍――一般の兵、傭兵、はては騎士まで――を持っている。云ってみれば、一国対個人というところ。
「それでも、しくじることなんか無いんでしょう?」
「暗殺ならな」
 忍び込んで殺すのなら、せいぜい十数人程度。隠密行動に優れていれば、もっと少ない。
 もっとも、彼の剣の腕を考えた上の話であり、邪魔になっている者を、周りにも、本人にすら気付かれずに排除できれば、だ。腕が悪ければ、必然として時間がかかることになり、発見され、増援が来――ということになる。
「護衛は別だ。延々相手をし続けるのは、さすがに骨が折れる」
「そもそもそういうのは専門外だ」などとは、いまさら――実にいまさらなので言わない。
(それにしても、まさか「領主」とはな……)

 領主というのは、この大陸を統一した国――エクシールの元で、一定の領域、領地を治める者のこと。
 元々は、それぞれが国であり、国王であった。
 統一より二百余年、じょじょに衰退していったエクシールは、もはやかつての威を失っている。半ば名目上、権威だけの存在となっている。
 しかし、単独の力は衰えたとはいえ、エクシールがつくり上げた仕組みは実に有効に機能し続けている。
 自治権がある以上、無茶な干渉は出来ないが、それでも一定以上の”不祥事”が発覚した場合、その領は解体され、設置している全ての領に、等分に吸収される。
 ゆえに、それぞれが監視しあい、牽制しあう……

(というのも、昔の話か……。今現在、付近の領同士は基本的に友好関係を結び――まぁ、一種の馴れ合いだ)
 そういう訳で、自らの領地内であれば、かなりの自由が利く。まさに、はるか昔……国であった時のように。
「というわけで、民の間だけでなく貴族、王族の間でも、単に“国”と言えば、それぞれの領の事を指すの。本来の意味でのそれは、エクシール。あるいは大国」
「この時代、領の解体・吸収が行われるのは、妙な野心を抱いて国家転覆を狙うとか――要するに、自分達にまで火の粉が及ぶような、そんな事態が起きた時くらいね」
 歴史、政治関係を学んでいた近所の年上の女性――リア姉さん――が昔話してくれた事を思い出す。
 学者として大成し、とある国(二人が生まれ育ったのは別の大陸であり、そこでの「国」は、通常の独立国家を指す)で賢者として迎えられた。
 が、束縛を嫌い、自らの”知的好奇心”の赴くままに世界を放浪している。彼女の、クードに与えた影響はとても大きなものではあるが、それは、今ここで語るようなことではない。

「で、やはり”殿下”とでもお呼びした方がいいのかな?」
 とりあえず、宿に戻ってから。
 クードのこの皮肉は、ファーリアが、最初からしっかりと説明しなかったことに対してのもの。
 言いたくない事を言う必要も、聞く気も無いが、依頼人――場合によっては雇われた者の身をも危うくしかねないような事については、当然話してもらわなくては困る。
 それも、明らかにそんな事は知っていながら――だ。頭に来るというのではないが、やはりいい気はしない。
「いつ気付くかと楽しんでいた」
「……と言ったら怒る?」
 上目使いに。だが、怒られるのを怖がっているというよりは、どんな反応をするのかを面白がってみている。そんな感じ。
「さすがにな」
 当たり前といえば当たり前のことだが。
「えーと、じゃあ……本当に信頼できる人か、見極めようと思って」
「それも嘘だな」
 即座に切り返す。
 初めに会ったとき――少なくとも、雇うと決めた時点では、すでにその見極めは済んでいた。ファーリアの態度、性格……まず間違いない。
 それ以前に「えーと」などとわざとらしくつけている辺り、冗談だろう。
「……なんとなく、よ。いろいろ理由はあると思うけど、どれもそれだけでは黙っていることにはならない」
「だが、その全てが合わさって――か。確かに、そんなところだろうな」
 そこでクードは立ち上がり――座っている状態でもそうなのだから、立ち上がるとその差は歴然。間近に来られると、威圧感がある。
「別に文句などは無いが、今度からは、せめてそういったお互いに不利益をこうむるようなことに関しては、前もって伝えておいてくれ」
 そういって、ファーリアの頭をクシャクシャっと、いくぶん乱暴に撫でる。
「……。たしかに私の落ち度だった。だから、この仕打ちは甘んじて受けるわ」


[最強]
「お嬢様に雇われている者が判ったぞ」
 ”右腕”を呼びつけて。
「ほう。誰です?」
 くつろいでいる所を呼びつけられ、あまり気分の良くなかったエンフィールも、少々興味をひかれたように。
「といっても、名前だけだがな」
「クーディアス・フェルン」
「調べさせたが、該当する者は居なかった」
 それだけの遣い手なら、名前が知られていないことなどありえない。
「宿帳に記してあったものだから、偽名の可能性は十分にあるがな」
 しかし、男の外見的特長だけでも、そんな者は知らないという。なにか……ある。

 ちなみに、たかが宿を調べるのにも時間がかかったのは、ファーリア達が一日の多くを外で過ごしていたこと。それと、無用な苦労はしたくないクードが、帰る際にしっかりと尾行を巻いたこと。さらに言えば、幸運――あるいは、不幸にも宿を見つけてしまった、辿り着いてしまった者達は、丁重にもてなされ、もはや帰る気を無くしてしまった。
……要するに、ひどく脅かされた、と。
 くわえてファーリア達の居る領の領主は、彼女との個人的な親交があり、目立った行動――例えば、全ての宿をしらみつぶしに探すなどということが出来なかったというのもある。そもそも、宿に泊まっているとも限らなかったのだし。

「……」
「どうした。知っているのか?」
 不意に黙り込んだエンフィール。
「識らないが、知っている……というところでしょうか」
「つまり?」
 もったいぶった物言いにも癇癪を起こすことなく、冷静に。
「その名で思い当たるのは一人」
「というより、その名に関しては結構耳にしています。その男“亡霊”でしてね。それも“最強”と呼ばれるような、伝説的な強さらしいですよ。まぁ、実際に会ったことは無いんですが――」
 消えた言葉は、話した者の素性から、まず間違いない。と。
「ほぉ」
 領主の方も、少し興味をひかれてくる。
「ああ、元亡霊ですね。一年ほど前に、正式に脱退している」
「ほう。容易なことでは抜けられないと聞いていたがな」
 彼が聞いたというのは、あくまで噂話程度のものであり、信憑性など無いに等しいが。
「ええ、なんでも――」

 殺せなくなったとか

「殺せない殺し屋……か」
 なんとも不思議なことのように――いや、実際奇妙極まりないものではあるが。
「ええ。理由は知りませんけどね」
 興味も無かった。というのが本当のところ。
 今でも、そういった方面の話はどうでもいいと思っている。ようは、これから闘うだろう相手が、どれだけ面白いか。それだけだ。
「確かに。それじゃあ用済みだな」
「そういうことです」

「ま、とりあえずこの首の心配はしなくていいわけだ」
 おどけて首を手刀(てがたな)でポンポンと叩いてみせる。
「おそらくは」
 嘲るような笑み。
「いくらなんでも、暗殺者風情にくれてやる気は無いからな」
 自分を殺す者は、自分よりも優れていなければならない。その器も。
 それが、彼の信念であり、またそういう者に人生の幕を引いてもらうことが、最近の彼の望みでもある。

「それにしても、亡霊……か」
亡霊。最強の遣い手に付けられた称号。古の王国、ランセルフィアの親衛隊……現在では、各政府が協定の上抱え込んだ暗殺者を指す。
 いずれも、表の者とは比較にならぬ遣い手ばかりである。
「私が出ましょう」
 エンフィールが、待ちきれぬと言うように。
「なるほど、亡霊には亡霊か」
 リアレスが彼と出会ったのは全くの偶然である。募集をかけたときに、応募してきた。それだけだ。
 だから、他の亡霊についてはおろか、それらとの接触、契約の方法すら何も知らない。
(長年領主をやっていた弟(おとうと)君(ぎみ)なら知っていたのだろうが……な。まぁ、あれはそういうものを使う性格ではないが)
 エンフィールに聞いてもはぐらかすだろうし、そもそもどうでもいいことだ。
 もっとも「どうでもいい」とは、今の彼にとって、それこそ「全て」であるのだが。


[その名は風]
「面白そうだな。俺が行こう」
 二人の話の最中に、音も無く――さらに言えば、ノックの一つもなく部屋に入り込んでいた男が口を挟む。
 その空色の髪と瞳は、この大陸では珍しい。
 そして、この大陸でその色を持つ者に有名人が一人いる。風を纏う魔剣士。本名不明。通称を風(ウィンド)。
「ウィンド、お前が?」
 エンフィールほどでもないが、彼も強者との戦いを楽しみ、望む傾向にある。確かに「最強」などと聞けば黙っていないか。
「最近は仕事も無かったしな。嫌いなんだろ? ムダ飯食らい」
 ニヤニヤしながら言う。エンフィールは”一応”敬語を使ってはいるが(しかし、もともと敬語調の喋りをする男でもある)、この男は本気で気安い。
 まぁ、リアレス自身、別に口調だの忠誠だのを求めているわけでもなければ、気にするような性格でも無いので、構わないといえばそうなのだが。
「わかった。お前に任せよう。ただし」
「ああ、大事なお嬢様にはケガをさせずにお連れしますよ」
 ニヤリ、と嗤って部屋を後にする。その、自信に満ちた足取り。
「大丈夫か? あいつで」
 強いという話は聞いている。叛乱を起こした時の活躍も知っている。だが、実際どれほどのものかというのは、そういった心得のない彼には、判断が付きづらい。
「さぁ。ともかく、かなりの遣い手ですよ。私ほど――とは言いませんが、平均的な亡霊と比べても遜色の無い腕前です」
 一匹狼の傭兵で、なおかつそれを可能にするだけの実力を備えている。その業の特性から、戦場などでの多数を相手とした戦いを得意とするが、それは一対一の闘いで劣るということではない。
「なるほどな」
 納得したのかどうか。ただ、表面上は納得したように。
「面白い……この闘いは、直に見たいものだな」
 そんなことを言ってみる。
「お戯れを」
 嘲るように。雇い主の事を心配しているのでなく、単に「面倒をかけるな」と。
「冗談だ。それほど向こう見ずな年でもない」
 それが事実かどうかはともかく。実際言ってみただけである。闘いの結果には、ほんの少しの興味はあっても、その様子などには全く無い。
 その興味とは、自分の打った手が、どうなったか、どんな効果を及ぼしたのかということにつきる。あたかも、戦場を盤上に見立て、兵を駒に見立てる軍師のように。
(それすらも、暇潰し程度……ではあるがな)


[領主の資質]
「そういえば――」
 いつも通りの散歩中。午後の陽射しが、そろそろきつくなる時期。
「なに?」
「ああ……」
 どうしても聞きたいとか、聞かなくてはならないというものではないが。
「元、領主だよな」
「そうよ」
 何を言いたいのか分からないが、とりあえず頷く。
「なら、だ。自分の”力”でも何とか出来たんじゃないのか?」
 領主の座を奪った者が悪で、この少女が善。そんな風に決まっているわけでも、割り切れるわけでもないが、彼女を見ている限り、慕っている者は多いだろう。民も、兵も。
 賛同者を集めて、その座を奪還する。そして、彼女には、それを為すだけの頭脳がある。その気になりさえすれば、けして不可能ではないはず。
(特に何かを言うわけではないが、会話の端々から感じられる。頭の回転と、その知識)
「なんだ、そんなこと」
「大した事じゃないのよ」
 本当にそうらしく。
「ただ単に、死ぬのが嫌なのよ。自分以外の人が……ね」

 要するに、彼女が言うには、誰にも死んで欲しくない。と。たとえそれが、自分の命を狙う者であったとしても。
「甘いとか、子供じみているというのは分かってる。それでも、ね」
 戦国の世ならともかく、この時代、わざわざその手を、体を血で染める必要はない。
「それで、俺か」
「殺さないで切り抜けられるほど、そして、殺されないほどに強い人」
 “あの男”を倒せるほどの強さ。
「わざわざ命を狙ってくる者を殺さないように。ま、そんな条件を飲む奴はそういないからな」
 相手の事を考えれば、刃が、動きが鈍る。下手をすれば、自分自身が殺(や)られることになる。
「”殺せない男”は、実に好都合だったというわけだ」
「気を、悪くしたかしら」
 かすかに心配そうに。どうあれ、まるで騙したような形になったのは事実だし、そのことで契約を破棄されるとしても――仕方ない。
「……いや。そんな考え方は嫌いじゃない」
 もちろん、それが押し付けであっては困るが。
 ゆっくりと、少女の頭に手を乗せる。
「それに。……懐かしい」
 ポツリと、漏れる。
「え? 何?」
「何でもないさ」






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