[風纏い] 「どうしたのよ」 不意にクードは、大通りを抜け、旧市街地、今はゴーストタウンとなっている廃墟へ向かう。置いて行かれまいと、小走りについてくるファーリア。 「ああ。お客さんだ。どうやら、広い場所をお望みらしい」 「そう」 ファーリアにはまったく感じられないが、クードが言っているのだから間違いないだろう。その方面での彼は、絶対に信頼できる。 「さ、ここらでいいだろう」 「そうだな」 クードが誰ともなしに――いや、その誰かに向かって言うと、たしかに答える声。 その声と共に、一陣の風が吹く。ファーリアが目を開けると、それなりに長身の男が立っている。細身というほどでない、引き締まった体。 軽鎧、剣の鞘、身につけている物を空色で統一している。その髪すらも。 「ウィンド。そう呼ばれてる」 格好つけて言う。今までの者達とは違う、確かな余裕。 「……聞いた事があるな」 風を操る魔剣士。その戦いは、ひたすら豪快。戦場においては最も有名な傭兵の一人。 「アンタ程の遣い手に知ってもらえてるなんて光栄だね」 「俺達傭兵(ケンカ屋)は、暗殺屋と違って名前が売れてないと話にならないからな」 不敵に笑う。過信ではなく、自信。 「風を纏う魔剣士。やりあえば、被害は広範囲にわたるな」 それに呑まれることもなく。 「名前だけじゃなく、俺のやり方まで知っていてくれるとは、ますます嬉しいね。そういうことだ、お嬢ちゃん。ちょっとと言わず、ぐっと下がってな」 「……」 敵にそう言われて、はいそうですかと足が動くわけもない。 「心配すんな。やり合ってる間に攫わせようなんて事はしねぇし、させねぇよ」 きっぱりと言い切る。 「俺の楽しみを台無しにすれば、俺が黙っちゃいない」 その真っすぐな熱い瞳を見れば、少なくとも彼自身が嘘をついていないことは分かる。 「いいわ。そのかわり、クード」 「必ず勝つさ」 こちらも自信たっぷりに。 「カッコよく、よ」 「フッ。承知した」 「言われたな」 苦笑しつつ、長剣――普通の物よりもさらに長い――を引き抜く。 「お嬢ちゃん、安心しな。そのオッサンの代わりに、この俺がカッコよく勝ってやるからよ」 ブン、と斜めに切り上げる。 ヒュウンッ! 「……」 十m近い距離を無視して襲いくる風の刃を、ほんの僅かな動きで躱(かわ)す。 「そうこなくっちゃな!」 放つと同時に走り寄るウィンド――風を利用したそれは、驚異的なほどに疾(はや)い。 「――フッ!」 既に懐に潜り込んでいたウィンドは、そのまま右斜方に切り上げる。そのリーチから、たとえ後ろへ下がられても間合いの内。もちろん、動かず、動けずこのままの位置だったとしても、かまわず斬ることの出来る業(わざ)をもっている。 が。 「つ――!」 何を見たのか、瞬時に止め、その反動と風を使い、後ろへ跳ぼうとする。 『風刃(ふうじん)乱舞(らんぶ)!』 ハートマークの右部分のような軌跡を描き、先ほどの移動に倍する迅さで、クードの頭上に到達。 大上段に振り上げた剣を、そのまま叩きつける。 ギィイイイイン!! 耳を聾しかねない高音を響かせ、剣が受け止められる。 衝突時に生まれた無数の風の刃が、四方八方へと飛んでいく。 三日月状のそれらは、周囲の家屋に突き刺さり、打ち壊す。 「……なるほど。戦場の剣だ」 剣とその衝撃波、及び向かって来た風の刃。全てを受け流すことは出来ず、僅かに切り傷をつくっている。 「……」 「心配するな、お嬢様。それだけこの男が強いって事さ」 今まで、一度たりとも血を流すことなど無かった。それが、たとえかすり傷だったとしても。 今までとは違う、彼に傷を付け得(う)る相手…… 「だが、俺はもっと強い」 じっと見つめている少女を安心させるように、剣を一振りし、構える。 「試させてもらうぞ」 踏み出す。 その瞬発力は、風を利用するウィンドのそれと同等――いや、それよりも迅(はや)い! 「くっ!」 無造作な連撃。腰を入れた一撃でないにもかかわらず、明らかに重い! その速さ、手数の多さだけでも、次第に圧倒される。一撃ごとの重さを考えると、圧倒的に不利! 「くそっ!」 『撃風(げきふう)!』 盾状に広がった風を叩きつけ、相手の攻撃を止めると共に、その反動で間合いを離す。 (……冗談) 冷や汗が出るのが、自分でもわかった。 強い。 「どうした? さっきのあの動きでなければ、俺を止められんぞ」 余裕たっぷりに言い放つ。さらに。 「加えて言えば、広範囲を対象とする術は使わない方がいいな。俺を捉えられはするだろうが、効率が悪すぎる」 「言うね」 確かに。二つとも真実。まさに的を射ている。 速さに関しては、体に負担をかけない範囲での全速力。しかし、それでは遅いことは実証済みだ。 最初に懐へ潜り込んだ時。あのまま剣を走らせていれば、一歩引き、間合いを取られたうえで斬撃を逸らされ、そのまま返す剣で切り裂かれていた。 そして、それを感じたからこそ、次の、相手が反応しきれぬ疾さを出すことが出来た。 もともとは、上昇しつつ後方へ跳ぶ。そこで風を爆発させ、一直線に相手へ向かう。そんなつもりだった。 しかし、あまりに慌てていたため、全てを同時にやろうとしてしまった。焦りが、前動作が終わる前に、次を行ってしまう。 その結果、直線は曲線となり、空を切り裂いた。 が。 (へ。速度と引き換えに、無茶した体にガタがくる。せいぜい後一発。しかも、それを使った後はろくに動けねぇな) そして、術の方も。魔力というものが、体力と同じように使えば減る以上、そうそう無駄使いは出来ない。 今までの相手にそのやり方が通じたのは、自分よりも格下だったため。もちろん、戦場においては一撃で大勢を倒せるタイプの術は、有効でありさえすれ、不利、無意味にはならない。 実力以上に、経験が不足している。そう、強敵との戦いという。 クードの二つ目の忠告は、暗にそれを指摘している。 (だが、まだ負けたわけじゃねぇ。そう簡単にやられるものかよ) 「焦るなよ。俺の華麗なる業の全て、とくと拝んでくれ」 (決められる瞬間を待つ。それしか無いな) 圧倒的不利な状況にあって、なぜか笑みが浮かんでくる。 「いくぜ!」 『風烈波(ふうれっぱ)!!』 いくつかの風刃を風が繋ぎ、一塊となって襲いかかる。 (大きさから、さっきのようには躱せんな。といって、受け止めれば隙が出来る……) トン。 軽く踏み出し、左へと跳ぶ。 「と」 着地点を狙った鋭い風の牙が、上方から襲う。 ギィン! 無造作に払った剣を受け、風は消滅する。 「かかった!」 『風の一太刀!!』 真一文字の横薙ぎ。横の長さは、十m近い。両端は家屋にかかっているが、速度を落とす事なく切り裂きつつ向かってくる。 「ち……」 剣を盾にし、どっしりと腰を下ろし、衝撃に備える。 [激戦] 「……後ろから、というのは常識すぎるな」 血のついた剣を、ゆっくりと引く。 「バケモノかっての」 辛うじて、脇腹を浅く裂かれただけで済んだ。もう少し反応が遅かったら、見事に串刺しになっていただろう。 あの風を、受け止めた。それも無傷で。 いや、それは相手が本腰を入れて受けたのだから、それほど悲観することでないかもしれない。 だが、その後は驚嘆するしかない。 受け止めたとはいえ、その衝撃は、確実に一瞬以上その動きを止めるはずだった。そして、最も反応しにくい背後からの斬撃。しかし、あっさりと、あらかじめ分かっていたかのように、無造作に剣を突き出してきた。振り返ることすらせず、正確に。 「突かれたりすることを考えて、体の位置はおおいいにずらしてたんだがな。それでいて、正確に突いてきますか」 「慣れだ。闘い続ける内に、身につくものさ」 どうという事の無いように言っているが、もちろんそうそう身に付くわけはない。 「修羅場の数はおおいに踏んでるつもりなんですがね」 「ケタが違う」 「……さいですか」 あっさりと言われる。そして、それは事実だ。これまで、彼の想像のつかないほどの経験をしてきたのだろう。 実力の桁も違う。明らかに。 (一つであって欲しいね。二つも三つもだったら、さすがに自信無くす) 「どうした。もう終わりか?」 挑発的な微笑を見せる。なんというか、負けず嫌いな弟を微笑ましく眺めているような、そんな感じで。 「……冗談」 「言ってんじゃねぇ! 勝負はこれからだ!!」 「行くぜ!!」 風で加速をつけ、一気に間合いを詰める。 何を仕掛けるにせよ、その速度では、まだ遅い。彼の通常限界の速度すら、クードの速さに比べれば。 「だがな、これならどうだ!?」 右手で打ち込み――何も持たない左手も、剣を持つように握る。そして。 「もういっちょ!」 そのまま左手を。振りの途中、その手に淡い空色の風が現れる。そして、その刃を。 「二刀、か」 二発目は少しばかり予想外だったが、それでも難なく受け流す。 「さすが。じゃ、乱打といこうか!」 さらに気を、魔力を高め、爆発させて。 「なるほど。中々巧い」 風による加速に変化をつける。緩急をつけ、タイミングをずらす。それに加え、方向性も持たせ、色々な軌道で、色々な角度から。 それらは、見事にクードを惑わせる。彼ともなれば、相手の筋肉の動き――それも、ただ視界に入れているだけで、体が自然に判断し、反応する。 しかし、術による斬撃には、それが通用しない。むしろ、なまじ肉体が通常の反応をしようとするため、惑わされる。筋肉の動きだけでなく、風の影響すら読むのは、至難。 触れる直前、剣気を感じて避け、受けるが、さすがに直前反応では凌ぎきれはしない。いくつかの、浅い、ごく浅い傷が刻まれていく。 「見事だ。だが――」 ガッッッ!! 「だが、手が無いわけではない」 腕が奇妙に動き、まるで幾本もあるかのような働きをしようと、しょせん二本。そして、腕と術の操作の難易度により、その他の動きにまで気は回りきらない。 胴が空く瞬間を。突進し、体ごと剣をぶつけ、吹き飛ばす。 「ぐっ、は……」 斬というより打。衝撃が、全身を巡る。 「ち、いっ。コイツも破られるか」 今までの者には通用してきた業が、ことごとく。その事実は、先程の衝撃よりも強く、心を打つ だが――。 (へっ。実に楽しいね。ワクワクするっていうのか。闘いってのは、こうじゃなきゃな!) 「とりあえず、こいつだ」 『練流(れんりゅう)』 両腕を突き出す。両手を包むように激しく風が巻き、クードの方へと流れていく。 「ふむ……」 既に、身動きはとれない。ちょっとした家くらいなら吹き飛ばしそうなほどの風が吹き付けられる。 しかし、風は彼の体に絡みつきつつ通り過ぎ、吹き飛ばされることもなく、その場に固定される。 「でもって――」 そのまま左手で風を流し続け。 『風針(かざばり)』 右手をそっと差し出し、生まれた十五cmほどの長さの太い針状の風を数本創り、練流へ流す。 「くっ」 五度目の針の群れが突き刺さる。ほとんど、ピクリとも動けない状況では、せいぜい打点をずらすくらいしか出来ない。 一本一本は大したことがないとはいえ、いつまでも続けられるときついかもしれない。 (だが、そろそろか――) 感覚的に、終わりが近付いているのが分かる。 (ちっ……そろそろ、限界か) 剣士寄りである彼にとって、練流のように力を流し続ける術は難易度が高く、消耗も大きい。 そして、攻撃用の風針。これは、最も消費が少なく、威力も低い。普通に放って、三分の一が岩に刺さる程度。撃たず、練流に流すのであれば、より軽い。 しかし、それでも静の状態から何度も放つとなると、かなりつらい。 剣士寄りの魔剣士は、術の行使の際、いわゆる発気、発剄のようにして内なる魔力を爆発させる。これは、剣士、拳士が内なる気を爆発させることによる。 拳士が発剄と呼ぶそれは、攻撃の時に使えば素手で岩を砕くほどの威力を発し、相手の攻撃を受ける瞬間に使えば、それを相殺する。 術士のように、静の状態から力を引き出すようには出来ていない。そして、力を出し続けるというのは、静からの術の行使と同じ。 (練流……巻き付く風に刃の属性も持たせれば、よりダメージがあるんだがな) もちろん、一つの術に二つの効果を持たせるというのは、彼などには出来ない高等技術なのだが。 (ま、こんなので仕留められるとは思ってなかったがね) 負け惜しみでなく。少しでも傷を与え、少しでも動きを鈍らせることが出来れば、それで十分。 最後の手段である”新(必殺)技”は、使えば体にガタが来、戦闘の続行は不可能となる。余る魔力分は、先に使いきっておく。そういうことだ。 「じゃ、行くぜ!」 『風(ふう)塊(かい)!!』 気を爆発させ、両手を広げたよりも大きな風の塊を撃ち出す。爆発させるには、全身の気を止め、溜めるという前段階を踏む必要がある。それによって、当然継続型の術もキャンセルされる。 しかし、練流は最後の瞬間に生み出された風が通り過ぎるまで、動きを封じつづける。 (ゆえに、これは受け止めざるをえん訳か) タイミング的に。そして、術の規模的に。 「……!!」 剣の平を前に、衝突の瞬間に気の爆発。衝撃を相殺する。眼前まで迫った時から――そして後一秒ほど、視界が利かない。 (どこから攻撃してくるか……) また背後からか、頭上か、それとも真正面からか。 「そこか!」 衝突により、視界と同じく乱されながら、それでも相手の気を察知する。 上から。気の位置に合わせ、切り上げる。放った直後、視界が晴れ、判断が正しかったことを示す。タイミングも完璧。 しかし。 「!?」 刃が触れる寸前、姿が消える。 いや、高速で斜め下に下りたのが、見えた気がする。そして身を低くし、同じく姿を視認できないほどの疾さで、正面から一直線に向かって来る。 闘いの初めに偶然身につけた、超加速。今回の場合、上空から……後ろ斜め下、前斜め下、前。三行動それぞれを全力。かつ、後からのものが前に掛かるように。理想は、半分が終わった辺り。 「もらったああ!!」 剣を出し、そのまま突進。腕で放つような突きでなく、体ごとぶつかって貫く。相手の腕は、先の斬撃で伸びきっている。この疾さなら、戻すのは間に合わない。絶対に。 「がっっっ!!」 しかし、それでも吹き飛んだのはウィンドの方。どこまでも、クードは想像以上だった。 剣で受けるのが間に合わないなら。そのまま持った肘を落とし、剣の腹に叩きつけ、軌道を変える。同時に、左拳が胴に炸裂し、鎧を砕きつつ吹き飛ばす。 体を低くしたのは、空気の抵抗を少なくし、疾さを得るため。そして、体当たりなどは、速度がそのまま威力となる。それに速ければ、相手の対応も間に合わなくなる。 それでも、だ。 「……ふう」 突き出した拳を戻し、一息つく。カウンターを入れるために、逸らしは最低限。そのため、右のわき腹を切り裂かれたが、浅い。いや、浅くした。カウンターを入れるには、これが、限界。 「バケモン……だぜ」 全身の気が攻撃――剣に集中していた為、拳撃のダメージは余さず通っている。だが、アバラの数本を撃ち砕かれながら、それでもよろめきつつ立ち上がる。 あの突き。重力を生かし、最大効果を得られる角度と打点で肘を落とす。だが、それだけで曲げられるほど軽くはない。軌道を変えられたとしても、肘が砕けるか――あるいは、肘だけが。 当然、気を爆発させ、全身のそれを肘に集中させた。そこまではいい。 だが、次の拳……こちらも同じく。普通、こんな短時間とすらいえないほどの時間で連続は出来ない。ウィンドでも、全力で打てば、次に放てるまで二秒は空く。 (ほぼ同時。まったく……何から何まで) 「そろそろ終わりにしようか。それだけ砕けば、さすがに続行は無理だろう?」 腕の立つ剣士達は、受ける傷も、その治りも並みの者とは全く違う。肉体には限界があり、いくら鍛えたとしても、限度がある。体を流れる気。それが、攻撃、防御、回復に重要な役目を果たしている。 気は、魔力と同じといっていい。魔力の方が、より純化されていて、術という形で外に出せるというだけ。術士としての魔力、剣士としての気……剣士寄りか、術士寄りかで割合は違うが、両方を持っている。魔力の割合が大きいほど、回復はより早い(代わりに、気の特性である肉体強化は低い)。 術士……純粋に魔力だけを持つ者の傷の治りが常人と同じである事から、魔力が気の持つ肉体の回復能力を。飛躍的に高めるのではないかと考えられている。 (そんなわけで……) 魔剣士は、剣士などより余程回復が早い。鍛えた者は、それこそ目を見張るほどに。それでも、砕かれた骨が治るには時間がかかる。この男でこの損傷なら、六時間から半日。 「もとから、あれを出した後はもう無理って言うつもりだったんだがね」 爆発的な加速に、体の方が耐えられない。どっちにしろ、ガタガタ。 「それにしても、素手で鎧を砕くか……」 術で鍛えられた、特殊金属製。特別な効果こそ無いものの、非常に軽く、強靭。 「先に剣で打った時に、少しばかり傷んでいたのさ」 といっても、目に見えないほどの。 「それに、前にある拳士に聞いた事があってな」 「『打つべき所を正確に打てば、砕けぬものはない』」 それとて、その”打つべき所”を見抜く力、そこを寸分違わず打ち抜く正確さこそが極意。 (たしかに、剣に通じるところはあるがな。だからって――) それが出来れば、拳士として超一流といっていい、究極の業の一つである。 「まったく、アンタは――」 「ハッ!」 突然背を向け、地を蹴って低く跳躍し、剣を振るう。 「!?」 「!!」 「!?」 「グッ……」 戦闘終了。そこに生まれる隙をついて、背後からファーリアを攫おうとした、全身を――頭部まで黒布で覆った男。 しかしそれは、対象に触れる寸前に、自らの両腕が切り飛ばされるという形で失敗させられる。 「どうやら、剣士の戦いが何たるか分かっていない者がいるらしい」 「あ、あ……」 ウィンドも気付く。あらかじめその可能性を考え、常に意識の一部を少女の方へ向けていたのだと。 あの闘いの中で。 「それでいて、このザマか」 (へっ、まさしく“完敗”だ) 「さっさと消えろ。それとも、やりあってまで奪っていくつもりか?」 「……」 もちろん、相手になるはずも無い。男は、自らの腕をうち捨て、素早く、大きな跳躍を繰り返し、どこへとなく姿を消す。 「面白い奴がいる」 斬った時の感触で分かった。両腕とも義手だ。仕事の最中で失ったものか、自ら力を得るためにやったのか。 暗殺等の陰仕事(かげしごと)を行う者には、ごくたまにいる。色々な仕掛けを仕込むことが出来るし、鋼造りのそれは、それ自体が凶器にも盾にもなる。 そしてこういう風に、斬られても本人にダメージは無い。 「ちっ、かなわねぇな」 シュウシュウと煙を上げる義手――おそらく、本体から離れると自動的に溶解液が出るようにされていたのだろう。痕跡を残さないようにと、それをそのまま使われないため。 その義手が溶けていく様を何の気なしに眺めているうち、挑戦者は愛剣を杖代わりに、ゆっくりと立ち上がる。疲労は見えるものの、その表情は意外なほどに晴れやかだ。 「あんたが護ってやってる限り、お嬢さんは大丈夫だろうさ」 二人に言う。 「これからどうする気?」 何となく、気にさせる。今まで襲ってきた者達と違い、どこか憎めないというか……根本的に悪人でないのだろう。 「契約は破棄だ。出来ることと出来ないことの区別はつくんでね」 「そう」 「なんだ。心配するな、またどこかで会えるさ」 「……」 からかって見せるウィンドに、実に複雑な顔をするファーリア。 「伝えといて」 「あ?」 「その内に、その首をいただきに参ります」 変な気負いも何もなく、静かに告げる。 「……わぁったよ。言っといてやる」 その瞳を見、冗談でも何でも無い事を確認し、請け負う。 「じゃあな」 剣を掲げると、彼の体を激しい風が包み込む。風が止んだときには、既に姿はない。 「実に変わった男だったわ」 「ああ、面白い奴だったな」 「さて、今日の宿を探さねばな」 「傷は?」 深いものこそないものの、浅い傷は無数に受けている。一応の手当てぐらいは、必要でないのか。と。 「ああ。この程度なら、放って置いても――一晩で治る」 全く問題ないらしい。 「そう」 (ほんとに“バケモノ”ね) 「ん?」 「どんなことをすれば、それだけ強くなるのかしらね」 興味があってというよりも、半ば呆れ気味にといったところ。 「そうだな……」 「ま、この年まで剣だけで生きてきた。人生のほぼ全てを剣に費やして、な」 少し考え、そう言う。「継続こそ力なり」そんな言葉があるが、それにしてもだ。もちろん、類稀な才能もあったろう。 「なるほど」 (要するに、バカだからかしらね) 納得……というのか。 「そういうものだ」 「何かを極めるなら、それだけに――まさしく“馬鹿”と呼ばれるぐらいはしないとな」 「ふ〜ん」 なんというか「そこまではゴメンです」という感じの生返事。 (だって、それは――) 「ま、目標があるというのは幸せなもんさ。他の何を失っても、気付かずにいられる」 「今は目標も無く、かつ幸せでないと?」 鋭く突き刺す。少々突っ込みすぎだと、自分でも感じながら。 「……」 「まぁ、そうだな。生きていればいろいろあるし、そうそう馬鹿でばかりもいられないって事さ」 そのとき彼が見せた、何ともいえない寂しげな表情が、やけに少女の心に残っている。今でも。 [風の行方] 「なに?」 帰ってくるなり、暇乞い。いや、乞うというよりも、ただ決定事項を告げているだけ。 「ああ、今までの報酬は結構。今回のミスと相殺しといてください」 「ふ……ん」 確かに、妥当ではある。たとえキャンセル料を取ったとしても、十分に。 「それじゃ、これで失礼」 ツカツカツカ……。 「っと」 扉を出る寸前、思い出したように振り返る。 「そうそう、件(くだん)のお嬢様からの伝言です」 「『必ずその首を刎ねてやるから、せいぜい怯えてションベン漏らしてな』」 「それじゃ」 にこやかに手を振り、軽やかな足取りで去って行く。 「いいのですか」 許しさえあれば、追って斬りたそうな顔で。浮かんでいるのは、雇い主を侮辱した者への怒りでもなんでもなく、この領主に対する冷笑だが。 「クックク……」 「ああ、放っておけ」 笑いのツボを刺激されたのか、ひどく愉快そうにその声と体を震わせている。 「それに、お前でもそう簡単にいかんのだろう?」 「……ええ」 まぁ、それは事実。 「戦うつもりならともかく、逃げるというのなら、不可能でしょう」 今の様子なら、確実に逃げを選ぶだろう。 「お前と闘うのを楽しみに来ていた男が、それを果たす事にまるで興味を失うとはな」 「それだけ、その男との闘いが面白かったというわけか」 「愉しみですよ。私もね」 常人ならぞっとするでは済まないような笑みを浮かべる。 「らしいな」 それを平然と流すこの男も、常人から大きく外れている。 [剣士の誇り] 「まったく……冗談じゃない」 夜の街道を、一人の男が歩いている。全身を黒で覆った――昼間、ファーリアを攫おうとして腕を切り落とされた、あの男である。 男は”影”と呼ばれる。敏捷性と隠形を売りとし、諜報活動、暗殺などを得意とする。ファンゼットの西隣の領に雇われ、その任務を果たしやすい「場」を得るために、リアレスに雇われた。 仕事とは、ファーリアの暗殺。その領主は、彼女の事を過小評価していない。必ず近いうちに領主に返り咲くだろう。 表向き良好な関係を保ってはいるものの、実のところ虎視眈々とファンゼットを狙っているその領主にとって、有能な者が治めるのは、即ち目的達成の困難を意味する。 (まぁ、そんな事はどうでもいいことだ。金さえ貰えればな) 男にとって、金が全て。思想も理想も、何も無い。 「あんなバケモノがいるとはな」 それだけに、自らの命を最大の財産とし、逃亡中。 このままリアレスの所に留まって機会を窺うにしても、それ以前に契約を解除されるか、正体がばれるか。 そもそも、これ以上バケモノと関わりたくはない。 仕事をこなせなかった以上、本来の依頼主の所へ行ったところで、口封じされるのがおちだ。 さっさと、大人しく、迅速にこの地を離れるのが最良。 「せめて一割でも前金を寄越せと言っておけばよかったか……」 まぁ、言ったところで聞き入れられはしなかっただろうが。 「さて、と」 このままもう一つ西の領まで行って、そこから船で行くのがいいだろう。特に暗殺依頼の方は、政治的問題ゆえに八方手を尽くして追って来るだろう。 「いっそこの大陸を離れるか……」 「それはいいですね」 「!?」 不意にすぐ後ろから声が掛かる。振り返るまでもなく、この声と丁寧さの中に嘲りを含めた口調は――。 「せっかくですので、船頭役を務めましょう。お送りするのは――」 「あの世です」 抑揚のない無表情な声と共に、剣が振りおろされる。 左腕――両腕とも、すでに替えの義手を着けている――を掲げつつ、前へ跳ぶ。鋼の義手はあっさりと斬られたが、それでも体の方を逃がすだけの時間稼ぎをしてくれた。 「……何用、ですかな?」 黙って居なくなったとしても、わざわざ追って来るはずもない。普通ならば。 「まぁ、ばれているという事ですよ。あなたの本当の目的が」 想像はついているのでしょう? 言外にそう言う。 「可能ならば依頼主を吐かせろ」 それは、誰がやらせたのかを知るためでなく「誰がやらせたのか」をはっきりと表に出せるようにするため。 よほどの馬鹿で無い限り、この状況で他国と事を起こそうとはしないだろう。 だが、外交上有効なカードとなりうるのは確か。 「しかしまぁ、そんな事はどうでもいいんです。私自身、興味もありませんしね」 雇われ者だから。というだけでなく、本当に興味が無い。どこがどこと戦争をしようが、それでどうなろうが。 「ですが――」 「私も剣士ですのでね。剣士を侮辱するような真似は許しがたい。そういうことです」 最後の言葉と共に、場の空気が凍りつく。 「な、あ……?」 まるで極寒の地に佇んでいるかのよう。血が凍りつきでもしたように、体が動かない。この夏の夜に、寒気すら覚える。 「お別れです」 けして彼の腕が悪かったのではない。その義手を使っての変幻自在の闘いは、一流の剣士を相手にしても軽い。 にも関わらず、気がついた瞬間には相手は目の前に来ており、肩から腰まで、ばっさりと断ち斬られていた……。 [亡霊の夢] 友は剣。 遊び相手は殺しの標的。 趣味は強者との殺し合い。 「……」 最初に人を殺したのは、五歳の時だったか。 それ以来、何十、何百人と殺してきた。 今までを振り返って後悔することも無ければ、殺した相手が夢に出てうなされるということもない。 なぜなら、その男には生まれてからそれしかなく、それが当然。 男にとって人を殺すということは、何ら特別なことではなく、当たり前の、かわり映えしない日常でしかない。 殺すこと自体、楽しいこととも、嫌なこととも思ったことも無い。 そんな男の見る夢は――なにもない。 何もない真っ白な空間に、ただ一人。何かをするわけでもなく、何かが現れることも、起きることもない。 ただ、醒めるまで立っているだけ。目を開いて何も見ず、何かを考えることもなく。 ただ。 じっと。 「……」 ゆっくりと目を開ける。領主から与えられた、自分の部屋。調度品は、もと有ったままで、いっさい弄っていない。 「お目覚めですか」 すでに日は昇っており、彼が起きるのを待っていたようだ。雇われただけの彼にも、専属のメイドがついている。 「……ああ、どうも。毎日ご苦労様ですね」 「いえ。仕事ですから」 もちろん、貴族様でも何でもないので、身の回りの事ぐらい自分で出来る。 が、まぁ面倒なことには変わりないし、彼女の仕事をあえてを奪う必要もないかと、任せている。 「お食事の後はいかが致しますか?」 「そうですねぇ」 カーテンを開けると、窓からさんさんと日の光が差し込む。 「天気もいいようですし、裏庭で剣でも振りますか」 修練とは、強くなる為のものだけでなく、得た強さを失わないためにも。 「では、巻き藁などを用意しておきます」 「……。一人遊びも、結構退屈なんですがね」 実際、声もなく、かかって来もしない物を斬っても、何も楽しくはない。 といって、人相手は――。 「では、お相手しましょうか?」 メイドがそう返す。リアレスが雇っているメイドは、全員何らかの業を身につけており、護衛兵の役割も兼ねている。 「冗談ですよ。私は、手加減が下手ですから」 相手が強く――つまり、その闘いが面白いほどに。 この女性、彼にそう言わせるほどに遣う。 「くすっ。わかりました。それでは失礼します」 笑みをこぼしつつ、部屋を出ていく。 なんというか、この城で唯一親しい相手。というより、いままでそんな者はいなかったような気がする。人と関わることなど、これが生まれて初めて、か。 何の思惑も無く、自然に接してくるような、そんな彼女。 「何の気なしにここに来て、気まぐれで雇われただけですが……とても、良かったと思いますよ」 これも初めて――負の感情の混じっていない、透明な笑みを浮かべる。 「ああ、そういえば、もうすぐ彼女ともお別れですねぇ」 意外に女性を大事にするらしい領主は、たとえ残る事を望んだとしても、全て解雇するらしい。 「まぁ、生き残るつもりも無いようですし……妥当ですかね」 男の方も、正規の兵や使用人には基本的に閑を出すらしい。 彼の最後の日を演出するのは――。 「私たち雇われ人……と。ま、彼らしいですがね」 クスリと、複雑な笑みが浮かぶ。 「そういえば彼女……もとは傭兵でしたっけ」 また旅に出、冒険者らしき事をやるつもりらしい。 「私が生き残ったら、彼女と一緒に行く。なんていうのも、面白いかもしれませんね」 そんなことを言ってみる。 「……一応言っておきますが、冗談ですよ?」 だれにともなく。 |