[無剣のソォト]
「すまんが、少し待っていてくれ」
 そう言って、クードはとある建物に入っていった。
(情報屋……?)
 それなりの規模の博物館か美術館に見える四階建てのそれは、れっきとした情報ギルドである。
 情報収集専門の冒険者をメインの仕入先とし、その他持ち込まれる情報を買い入れ、廻す。
 金次第では、国家機密クラスのネタも手に入るという。……というのは、ただの噂話に過ぎないが。
 実際、こちらのネットワークも諸政府合同管理であるため、当然ながら政府関係の重要な情報など流れることはない。まぁ、そんなことも言われるほどの情報収集能力。といったところ。

「一体何の用なのかしらね……」
 この依頼に関してではないことは確か。そもそも、聞けば答えを得られるようなものに金を払う必要も無い。
 それに、今朝から様子がおかしい。何か悩み事でもあるような、辛そうな表情。ひどく沈んでいる。
「……ま、色々あるわよね」
 何となく面白くなさそうに、軽く小石を蹴飛ばしてみる。濡れた音を立てて転がり、やがて水溜りへと入る。
ついさっきまでの土砂降りの雨で、大通りだというのに人はほとんどいない。
(なんだか……)
 別に、話してくれなくてもいいが。
 それでも――。

「猫……?」
路地の方から、か細い鳴き声が聞こえた気がする。
(……あっ)
雨にぐっしょりと濡れた、子猫。まだ、うまく歩けないほどに幼い。
「……お母さんは?」
『ニー……』
よちよちと、危なっかしげに寄ってくる。
「あなたも、親がいないの?」
しゃがんで、その体を撫でようとすると。
『フーー!!』
先の方から母猫が現れ、毛を逆立てて、こっちを威嚇している。
「……クスッ。ほら、お母さんが来たわよ」
(なんだか、いいわね……)
去っていく親子を眺める少女の瞳(め)はひどく優しい。
(さ、そろそろ――)

「一人歩きはよくないねぇ」
「!?」
 気配を感じ、屈(かが)みながら前へ転がる。ギリギリのところで、差し出された手は空を切る。
「ちっ。最近どうもついてないんだよなぁ」
 体を起こし、見上げると、なんだかブツブツ呟いている貧相な男。猛犬のような凶暴さを隠そうともせず、腰に佩いている曲刀は、幾度も血を浴びてきたのだろう。物腰にも隙は無い。
「いやいや、有り金はたいて遺宝を買ったかいがあったってもんだ」
 遺宝とは、古代の魔法技術の産物。今回使われたのは、姿を消す粉。持続時間はそう長くないものの、あらかじめそこに居ると分かっていなければ、全く気付かれることが無い。そんな効果を持つ。
 ……効果が切れるまでにチャンスが訪れなかった場合、どうする気だったのだろうか。たとえ金があったとしても、遺宝などそう手に入るものではない。
(マヌケ?)
 どうにも緊迫感が無い。
 あるいは、そう思わせる、それこそが手なのかもしれないが。

「さて、さっさとご足労ねがいましょう――!?」
「待ちな! ……ってな」
 そんな、今一しまらない台詞と共に、一人の男が現れる。
 なんというか、絶妙のタイミング。相手が相手だけに実感は湧かないものの、さりとて助けが来るとも思っていなかっただけに、なおさら怪しい。台本でもあるかのように。
「よお。何だ? こんな子供相手に」
「……」
(むっ)
 ともかく、お嬢様は少々気を悪くなされた。実際、どこからどう見ても子供なのだが、だからといって、そう言われて嬉しいわけも無い。
「へっ。すっこんでろや。怪我したくなけりゃな」
 どこまでも軽く、緊張感なく言い放つ。だが、男が放つ凶気は、並みのチンピラとはわけが違う。少々腕に自信ある程度の、正義の味方では……。
「……こっちも訳ありでな。そういうわけにもいかね―んだよ」
 スタスタと無造作に、無防備に背を晒しながらファーリアに近付く。
「おい。テメェ!」
 怒号にも動じず、突然現れた男はくるっと振り返り、剣を抜いてみせる。一般的な長剣に比べてかなり長い。幅の方もほんの僅かに広いが、それでも、長さから見ると、どうしてもか細く見える。
「つーわけだ。このお嬢にちょっかいかけたかったら、まず俺が相手だ」
 ニヤリ。挑発的な――的というより、それそのものの嗤いを浮かべる。
「……なんだと?」
 あっさりと挑発に乗り、曲刀を抜き放つ。じりじりと、間合いを詰め来る。さっきまでの軽さは影を潜め、凶暴さだけがある。
「おっと」
 男がある程度まで近付いた所で、不意に声をかける。
「忠告だ。テメェにも分かるだろ? 俺の”殺界(さっかい)”に入ったら容赦無く斬るぜ?」
 ゆらゆらと剣。誘っているような。
「……」
「ちっ、仕方ねぇ。俺だって、敵わない奴を相手にするほど馬鹿じゃない――んだよ!!」
 剣を納めて去ると見せかけながら、振り向きざま一息に跳びかかる。

「……馬鹿が」
「まぁ、プロみたいだったからな。退くわけにもいかなかったんだろーがよ」
 言外に仕事、誇り、自尊心などといったものと命を比べる愚かさを嗤いながら、剣を納める。
(……)
 剣が見えなかった。軌跡が、などというレベルではない。剣そのものが見えなかった。それは、彼に斬られた刺客も同様だったろう。速いという世界を越えた疾さ。
「さて、と」
 改めて少女に向き直る。殺気や闘気などというものは欠片も見せていないが、先程のやり取りを見れば、瞬きする間にも息の根を止められるという事はよく分かっている。
「なにか」
 それでいて、表向きはおろか、内側もほぼ平静でいられるのは、天性のものか、生きてきた環境か。
「さすがに……。いや、なんでもない。怪我は無かったか?」
「おかげさまで」
 微笑んでみせる。いくぶん社交的なそれ。
「”助けてくださって、ありがとうございます”。でも、どうして?」
「いや、知り合いみたいだったからな」
「は?」
「気にするな。で、どうだった? ”無剣のソォト”の業は」
「無剣の……ソォト」
 自慢げに言うからには、目の前の男がその「無剣のソォト」というのだろう。
 ――だが。
「あいにくだけど、聞いたこと無いわね。二剣のソォンなら知っているけど」
「二剣のソォン」とは、この大陸にも名が響いている、最強と呼ばれる剣士の一人。二振りの広刃剣を遣う魔剣士で、その華麗な業は半ば伝説となっている。
「ちっ……この辺りじゃ知名度はまだまだか」
「でも、業の凄さは知っているわ」
 たった今の闘いで。
「いいね。それだけ分かってもらえりゃ十分ってもんさ」
 うんうんと頷いている。
「一つ、聞いていいかしら?」
「一つといわず、いくらでも」
 腕を認めてもらい、機嫌が良くなっているようだ。単純というか可愛いらしいというか……。
「さっきの『殺界』って何かしら?」
 言葉の響きと、前後の会話から、何となく想像はつくが。
「あー、それは……」
 なぜか口ごもる。
「企業秘密だ」
 ビッと指を立てて気取ってみせる。
「……」
「冗談だ」
 しらけたような視線に堪えられなくなったのか、素直に謝る。

「殺界ってのはだ、言ってみれば”ここから内は殺せる範囲内”ってことだな。感覚的な才能もあるにはあるが、大体実力が上の奴ほどよく”判る”」
「達人以上になれば、その境界が赤い線で引かれてるように見えるんだよ。自然とな」
 言ってみれば、間合いという概念を、物騒な方に進めたようなもの。肌で感じられるだけでなく、特に意識しないでいる時でも、色などといった視覚で感知出来るようになるになる。……無論、それにはかなりの修羅場を経験する必要があるが。

「ま、さっきの奴も、それなりの遣い手だったってことさ」
「俺ほどじゃないがね〜」とでも言いたげに。どうにもお調子者のきらいがある。嫌いというのではないが。
「そうそう」
 気になっていた事がもう一つ。
 そもそも。
「どうして、助けてくれたの?」
「ん?」
 少なくとも、一面識もない。まぁ、パッと見ではあるものの、性格上「少女が襲われている」などという場面には、嬉々として乱入して来そうではある。
 が、なんとなくそんな――ただの人助けではない気がする。
(わけがあるとか言ってたしね)
「なんでって、そりゃ――」
「ん?」
 何か思い当たることがあったようで、言葉を途中で止める。「あーー。てっきりそうかと思ってたが、違うって事もありうるんだよな」などと、ぶつぶつ独り言を言っている。
「一応聞くんだが、今日は父親と一緒だったりしない?」
「……。違うけど?」
 なんと言うか、遠回りに聞くもので、いまいち意図が分からないながらも、そう答える。
「え? あーー。……なんていうか」
 少しばかり誤算があったのか、次の言葉を捜し、口篭る。
 その時、ギルドの扉を開け、ひとりの男が出てくる。
「よ、待たせたな。お嬢様――!?」
 出てきたクードが、にこやかに――まぁ、無理していると一目でわかるような――手を振ったりなどする。が、その横にいる男に気付くと表情は一変し、挙げた手はすぐさま腰の剣へと向かう。

「クーーード!!」
 雄叫びを上げ、走り寄り、勢いよく跳びかかる。
 ガッガガガガガガガッッ!!
 豪雨の如き激しい乱打。その打ちつける刃すら見えない。
 ストレートでなく、ジャブ。振りきらず、当てて戻す。一撃の重さでなく、回転速度。だが、この不可視の乱打を可能とする筋力は、受け止める武具ごと撃ち砕くだけの威力を与えている。
「さすがに迅い!」
 そして、それを受けきるこの男も尋常でない。反応速度だけでなく、それを受ける剣を傷めないように、その位置までコントロールしている。
「三打(さんだ)!」
 さらに速く、左右上腕、面を打つ。左から右、上への流れ。しかしその動きも、”達人”程度の遣い手では理解できないだろう。同時に襲い掛かる三つの刃に、なすすべも無く斬られる。
 あるいは、何が起きたのかすらも。
 気付かぬ内に。
「くっ――!」
 クードにとっても、ぎりぎりのライン。受ける順番を間違えれば、同じようにあの世行きだ。
「――転閃(てんせん)!!」
 左足を軸に、体がかすむほどのターン。伸ばしきった右腕もかすむ。そのまま鞭のように叩きつける。
 クードの背に、刃を。

「腕は衰えてねーな」
「……お互いに、な」
 まさしく間一髪。前に踏み出しつつ振り返り、両手で剣を構え、受け止める。コンマ一秒遅れていれば、受けきれなかっただろう。それで致命傷になる事はないにしても。
 しかし、そのまま後ろ手に受けていれば、遠心力を乗せたその一撃で吹っ飛ばされていただろう。剣と胴が二つになったうえで。

「……なに?」
 突然に始まった戦闘……それも、先日のウィンドとの戦い以上に常識外れの。思わず呟くファーリアの声にも、疑問と驚愕がみえる。
 そして、それ以上に驚いたのが往来の人々。先程刺客を斬った時は、雨が上がったばかりで人もほとんど無く、しかも路地に入った所だった。今現在は人通りが激しくなっているし、場所も大通り。注目されない方がおかしいだろう。
 あちこちでヒソヒソと。なにやら「通報がした方が良くないか?」などという物騒な事を言っている者達もいる。
「いやー、いい加減この”再会の挨拶”やめねーか? 下手すりゃ大怪我だっての!」
「こんな風に注目されるしな」
 ソォトが大声で言うのにクードもあわせる。それを聞いて、皆「人騒がせな……」とか何とか言いながら去っていく。なんと言うか、単純というかドライな気もするが、もちろんそうやって去っていってくれた方がありがたい。官憲ともめめたりするのは、非常に御免こうむりたい。


[]
「ったく。所かまわずだな」
 クードが呆れたようにいうのも無理はない。ファーリアにしても、今まで生きてきた中で、これほど非常識な人間は見た事が無い。
「クード、どういう知り合い?」
 誰でも聞かずにはいられないだろう。返答いかんによっては、クードに対する見方も修正の必要が有る。そういった目。
「まぁ、子供の頃からの親友って奴さ」
「ただの腐れ縁だ」
 馴れ馴れしく肩に手をかけてくるソォトを払い、きっぱりと言いきる。
「……またまた、将来を誓い合った仲じゃないか」
「……」
 氷のような視線が突き刺さる。誤解するわけも無いだろうが、ファーリアの表情を見る限り……。
「”一生競い合う”ことをだろ? 誤解を招くような言い方はよせ」
 それ自体、ソォトが勝手に言っていることなのだが。
(……なんだ)
 あからさまにほっとしたような表情。
 大人顔負けの頭脳を持っているといっても、そういう方面には年相応に幼いのかもしれない。
 ……むしろ、どちらかというと早熟な方かもしれないが。
「最初はエリスとお前の子供か? なんて思ったんだけどな。髪の色もエリスと同じだったし」
「しかも、かなり可愛い」などと、おどけたように言って見せる。彼がクードの娘――ルーシアに会ったのは、三歳が最後。
「将来は美人になる。絶対だ!」などと言っていたか。

「……」
「……」
 触れるべきでないものに触れた。沈黙は氷の棘となり、突き刺さる。
「と、悪いな。それに、別にお前を責めてるワケじゃねーよ。仲良さそうに歩いてるお前らを見て、あの話はなんかの間違いだったか? なんて思っただけだ」
 なにより、ソォト自身が信じたくなかったこと。エリスの葬儀には出たが、旅先で話を聞いただけの娘については。
 かすかな希望を。
「……エリスは間違いなく死んだし、ルーシアも同じく、だ」
 血の塊でも吐き出すように。こんなこと、何年経とうと忘れることはない。悲しみが、薄れることはない。
「ストップ! 湿っぽい話はよそうや」
「せっかく会ったんだしな」自分から振っておいて、そんな事を言う。まぁ、それは、クードにその後を続けさせない――今さらどうしようもない事に対して、本当に”今さら”後悔をさせない。
 そういう友情のあらわれではあったのだが。

「それで?」
 親友の意を受け、話を変える。
「あ?」
「どうしてこんな所にいる?」
 それが趣味であると思えるほどに世界を放浪し、ほとんど一つ所に留まることのないこの男のことだから、まぁ偶然に会うこともあるだろう。
 が、別にソォトだって何の目的も無しに旅をしているわけではないし、今ここに居る理由も、何となく想像がつく。
「ああ。風纏いとか呼ばれてる魔剣士が居るって聞いてきてな。ウィンド、だっけ?」
 そう、何が楽しいのか知らないが、強いと言われている者と試合うのを趣味(というと語弊があるかもしれないが、少なくとも、傍(はた)からはそう見える)としている。
「”未だ無敗”なんて言われてる有名人君に、敗北の味を教えてあげようと思ってね」
 少々悪趣味というかなんというか。だが、真に敗北を知らないものは、強くはなれない。
 本当の意味では。
「……残念ながら、それは無理だな」
 ニヤニヤと嬉しそうに言う親友に、かぶりを振ってみせる。
「問題は二つ。第一に、もうそいつはここに居ない。第二に、彼の記念すべき初敗北は、俺が刻んでやった」

「もう行くのか?」
 さっさと立ち上がるソォト。
「まぁな。これ以上ここにいたって仕方ないしよ」
 何となく恨めしげな視線が送られているような気がするのは、気のせいだ。絶対。
「次は?」
 どうせ、次の目的地も決まっているのだろう。正直、そのヴァイタリティが羨ましかったりもする。
 ……ほんの少しだけ。
「……と、エステバだな。砂漠の国。凄腕の曲刀使いが居るらしい」
 別の大陸である。それでも、ここから一番近いところなのだとか。とんだ趣味人だ。
「ご苦労なことで」
 軽い皮肉と言うか、なんというか……。呆れ混じりの感嘆。
「極めるような道は無いんだけどよ。やっぱ、どうせなら強くなりたいだろ?」
 剣士が剣を取る理由としては、それほど珍しいものではないかもしれない。少なくとも、大抵の者にはあるだろう。その比重が尋常ではないだけだ。
 それに、剣士である以上、強くなければ話にならないというのも、事実。
 求めるものが何であれ、それを得るためには、力が必要だ。
「ま、俺が結局何をしたいかってのは――秘密だ」
 昔「なぜそこまで力を求めるのか」そう訊いたことがある。それも、力を求めていながら、それに溺れず、振り回されず。
 いつか、聞く機会もあるのだろう。

「そうそう、一応言っとくぜ」
 別れ際、後ろに立つファーリアにもしっかりと聞こえるように。
「エリスも、そして娘の方も、お前を恨んじゃいない」
「……」
「エリスに関しては絶対。そして、エリスとお前の娘なんだから――な」
 彼女も、絶対だ。と。
「恨みの為に剣を振るのはやめとけよ。つまらないもんだ」
 妙に悟ったようなことを言う。それから、少々説教くさいことを言ってみる。
 泰然自若としているように見えて、意外に色々と悩みこむ親友に、少しばかりの気遣い。
「あと、いちいち後悔したりするな。それよりは、繰り返さないように教訓にしとけ」
「……」
「ま、とりあえず、このお嬢さんをしっかり護ってやれってことだ。じゃあな」
 現れたと同じように、去っていく。
「またね」
 ファーリアの声に、振り返らぬまま、右手を挙げて。


[殺せなくなった理由(わけ)]
「なぜ殺せなくなったか?」
 ソォトと別れ、すぐ部屋に戻る。二人とも、何も話さない。しばらくの沈黙の後、そんな事を訊いてくる。
「突然何だ?」そう言いたかったが、ソォトとの話を聞いていれば、疑問にも思うだろう。それに、この半月は、それほど短くはない。それぞれが、それぞれにとって。
「そう。別に、言いたくないなら聞かないけど」
 と言ってはいるが、しっかり聞かないと、しこりが残る。すっきりしないのは、最も嫌い。
 しかし、相手の古傷をえぐってまで聞くぐらいなら、別にいらない。
「……」
「命の重みを知ったから……だな」
 苦い――過去と言うにはいまだ鮮やか過ぎるそれを振り返り、噛み締める。


[殺せなくなった理由 〜後悔〜]
「父さん。ダメだよ……」
 裾をギュッと引っ張る幼い娘。
「……」
「……だってね。誰だって痛いのはイヤだし、死にたくないって思ってるはずだよ」
「いくら悪い事したからって、殺しちゃうのは、やっぱりよくないよ……」

「うん。その……ゴメン。私も、父さんの気持ちはわかるんだ」
 少し大きくなった娘が、夜、部屋をたずねて来る。
「私だって、母さんを殺した人に対しては、絶対に赦せないと思う」
「でも、それ以外では。仕事だからって……ううん、だからこそ、殺して欲しくない」
「わがまま……かな?」

「ゴメン……もう、一緒にいられないね」
 胸から流れる鮮血が、服を紅く染めていく。
「やだ。そんな顔しないで。私、父さんのこと、ぜんぜん恨んでないよ」
「だけど、お別れなのは、寂しいかな」
「大好きだよ……父さん」


[殺せなくなった理由]
 気が付くと、涙を流していた。命を奪うということに対して、はっきりと否定した娘。
 個人的な遺恨があれば、それが、どうしてもやらなければならないことならともかく、そうでなければ……ましてや、他人が。
「妻――エリスの優しさを継いでいたのか。幼さからか、何倍も強かったが」
 以前斬った男の遺族が、復讐に来、結果として娘は……死んだ。
 結局、幸せの全ては、自分の手で壊してしまった。後悔、などと言う言葉では表せない哀しみ。
「俺の剣を振る理由はな――」
「見失って、暗殺者なんてものになった」
 そして――。
「そして、新しく出来た理由は、俺自身が」
 娘が死んだその日から、完全に人を殺せなくなった。
 命の重み。自分に、それを奪うだけの理由があるのか。
 気付くのが遅すぎた。いくら、そんなものとはかけ離れた世界で生きてきたとしても。
「まったく。どうしようもないな」
 だが、それでもなお暗殺者として留まっているのには、訳がある。
 たった一人、どうしても斬らねばならぬ男がいる。
(奴だけは……かならず息の根を止める)
 この手で、必ず。

「そんな事があって」
 それ以来。
「怖くなったんだ」
 誰かを殺すのも、誰かが殺されるのも。
「それ以来、どうしても躊躇する。最後の一撃が放てない」
「どっちにしろ、暗殺者としては失格さ」
(それでもしがみついているのは、果たさねばならない事があるから)
「はっきり『弱くなった』そう言ってくる奴もいる。剣の腕がどうのというんじゃなくてな」
 以前は自分も、その強さを求めた。しかしそれを、捨てた。
「どう見える?」
 そもそも、自分の生き方について他人に問うなど。一連の夢と、どこか二人に似た少女。精神(こころ)も、傷付き、疲れることがある。
「さぁ、それは知らないわ」
 素っ気なく言う。
「人が殺せるということだけが強さでも無いと思うし。それに、どんな強さを求めているかにもよると思うわ」
(少なくとも、私はそんな強さを求めない)
 ゆっくりと、元気づけるように。励ますように。
「どっちにしろ、自分がそれでいいと思うのなら、構わないんじゃない?」
「……そう、かもな」
 本当に心からの言葉は、贈られた者の心に染み込む。あるいは、この感覚を”感動”と言うのかもしれない。
(ふ……。まったく、だな)
 そのまま、暫く黙り込む。

「……もう!」
 沈黙を破る。癇癪?
クードのそれは、歓びを噛み締めるものだったが、まだ迷っているのだと、吹っ切れないのだと、そう勘違いしたか。
「私のお気に入りの、美味しいレストラン」
「は?」
 唐突に言われ、頭が付いて行かない。
「もうお昼よ。ほら、行くわよ。奢ってあげるから」
 少々顔が赤い。扉に向き直り、顔をそむける。
「……ああ」
 気を使ってくれているらしい。
(それに――)
 悪くない気分だ。
 ……まぁ「十歳そこらの少女に奢られる三十男」という事実は忘れておくとして。
「じゃ、いくか」


[穴を埋める]
「だから、なのかしらね」
「ん?」
 唐突に語り始める。
「あの時――」
 殺せない殺し屋? 面白いわね
「振り返ったあなたの瞳(め)を見た時、冷たい闇と共に、哀しみが宿っているように感じたのは」
「……哀しみ、か」
 内容こそ昔とは違うが、結局、今も昔も。
「なんていうか、とても――」
「懐かしいな」
 そう言われたのは、二人目。
「キャッ!?」
 ヒョイと抱え、そのまま乗せる。肩車。
「ちょ、ちょっと――?」
「気にするな」
 なんだか、無性にやりたくなった。ただ――それだけ。
「そ、そんなこと言っても」
 と言ってみたところで、下ろしてくれそうも無い。
 視点がずいぶんと上になる。本当に昔――父親にしてもらったのを思い出す。
「……分かったわよ。今だけ、娘になってあげる」
 そう、まんざらでもない様子で。
「俺が父親?」
「そうよ。嬉しいでしょ」
「まぁ、な」
 ちょっとした親子ごっこ。
(本当は、親子なんかじゃなくて――)
「どうした? ニヤニヤして」
「!」
 視線を感じ、振り向いたクードそう指摘する。ニヤニヤというか、何やらうっとりとした表情。言われて、それこそ顔が真っ赤になる。
「何でもないわよ! それに、ニヤニヤなんてしてないんだからね!」


[招待状]
「何だ、それは?」
 食事から帰ってきて(結局、本当に奢られた)、宿に帰る。そのドアの内側に貼り付けてあった紙。
 そこに書かれていた文字は、クードには読めない。ファーリアの領……その領主一族の使う暗号文字。
「招待状」
「ほう」
 さほど、驚いた様子も無い。クードもそれだけ聞けば、誰がどこに招待しているのか、そして恐らくその目的も、想像が出来る。
「ファンゼットの領主様が、パーティを開くんですって。『ぜひとも、お二人でご参加ください』とのことよ」
「パーティ……ね。行くんだろ?」
「当然」
 聞くまでも無い、当たり前のことのように返す。
「お誘いは受けて差し上げないとね。それが淑女の務めというものよ」
 気取った仕草、声音。今にも舌を出しそうな、いたずらっぽい笑みを浮かべている。
 明らかに、状況を楽しんでいる。
「面白がってるな」
 それは、何があっても彼が助けてくれるという信頼によるものなのだろうが。
(全く……いつから俺は、お嬢様のボディガード兼従僕になったんだ?)
 それをけして嫌がっていない……むしろ、どこかしら楽しんでいる自分がいるのにも驚くが。


[少女の夢]
「既に完全に包囲され、城内にも多数侵入。乱戦となっております」
 喚声が聞こえ始めた頃、白髪の老人――というには少し早い男が走りこんでくる。鎧は着ていないが、剣は腰に。
「そう」
 幼い少女は、不似合いに豪奢な椅子に座り、大人びた瞳を向ける。
「早いわね……。前々から準備していた?」
「あるいは、お父様の死自体、裏で手を引いているのかもしれないわね」
「お嬢様、それより」
 男は、あくまでもゆったりとした少女を急かす。
「そうね。留まっても無駄な以上、残る意味はないわ。主が居なくなれば、わざわざ兵を殺す意味も無いでしょうしね」
 民の反発というものは、思いのほか強い。どう見ても必要の無い虐殺を行う者を、主とは認めない。領主だ何だといって、民の支持無しでやっていけるものではないのだ。その意味でも、さっさと逃げるなり捕まってしまった方が、残った兵は安全である。
(戦況を見て、自分で逃げ出すほど忠誠心が低ければ、楽なのだけれど)
 善政を敷いていたといわれる彼女の父エクシスは、領民以上に城の者達に慕われていた。そしてそれは、そのまま彼女への忠誠に繋がっている。
……それは、多分に彼女自身の聡明さと、人徳によるのだけれど。
「隠し通路……まさか実際に使うことになるとはね」
 こういった城にはつきものだが、無論の事、あまり使われることはない。そういう状況に陥らないようにする事こそ、肝要。

 壁に設置された蜀台には、かすかに魔法の明かりが灯り、通路を照らしている。
 侵入者避けに曲がりくねり、いくつもの分かれ道が設けられているそこを、迷うことなく進んでいく。
「シェリー殿が休暇中で幸いでしたな」
「ほんと。こんな所一緒に通ったら、うるさくて仕方ないわ」
 身辺警護役の少女は、腕こそ立つものの、ひどく怖がりで、しかも騒がしい。
 “じい”――クルードの方がよほど役に立つ。
 もっとも、あれはあれで他者の心を不思議に和ませてくれるという、中々に得(え)がたい才能を持ってはいるのだが。
「……」
「クルード」
 歩く速度も、気配も変えず、まるで世間話でもするように声をかける。
「はっ!」
 かしこまる。少女が愛称である”クード”あるいは”じい”でなく名前で呼ぶときは、真剣か、怒っているかどちらかである。
「もういいわ」
「は……?」
「そろそろお芝居はいい。そう言ったのよ」
 別段怒ってはいないようで、幾分ぎこちなく、笑みをつくる。
「包囲の手際のよさといい、的確な侵入といい、内部の者が手を貸していないと不可能だわ」
「それも、兵の配置も、それとなくやりやすいように出来るほどの地位にいるものでなければ……ね」
 気にならない、気付かないほどではあるが、確かに穴があった。それに加え、その近辺に配置された者の性格は、簡単に敵の誘導に乗り、持ち場を離れるだろう。結果として、それなりの大きさの穴が出来る。敵の集団が、容易に城内へ入り込めるほどの。
「責めるつもりはないわ。お父様の代からの忠臣である貴方が裏切るぐらいなのだから、よほどの理由があるのでしょう?」
「……」
 しばし、沈黙。重い時間が流れる。
「娘が……」
 確か、十八だったか。遅く出来た子だけに、非常に可愛がっていた。もっと昔には、何度か遊んでもらったこともある。ファーリア自身も、優しく、聡明な彼女のことが好きだった。
「そう」
「仕方ないわね。全ての出口に配備されているの?」
「いえ。六番だけです。それ以外は知らせておりませんので」
「……」
 しばしの沈黙。
「……そう」
 つぶやく声は、嬉しいのかなんなのか、複雑な色をしている。
 六番とは、最も通路の長さがあり、城からそれなりに離れた山の麓に出口がある。そのすぐ近くには、隣の領との境界である、東の森。
そして、その出口近くには、幾本もの分かれ道も。その全ては、巧妙に隠されている。無論、隠し扉やその周囲を調べたところで、そこに隠してあるとさえ判らぬように。
 つまり……。
「この期に及んで迷っていた。とでも?」
 どことなく、非難するような声。自分の事を考えてくれていたというのは、普通なら嬉しいはずだが。
「たかが雇い主と、自分のかけがえのない娘。どちらを選ぶべきかは、考えるまでもないでしょう?」
「たかがではない!!」
 諭すような、嗜めるようなファーリアの言に対し、思わず声を荒げる。常に冷静、そしてファーリアに対して敬意と忠誠、優しさを忘れることのないクルードにしては、実に……実に珍しい。
「どこの者とも知れぬ私を取り立ててくださったエクシス様に対する恩。そして、死の間際にて直々に後のことを頼まれたこと。もちろん、それもあります」
「しかし!」
「お嬢様が生まれてきた時より、片時も離れること無くお傍に仕え続け、その成長を見守ってまいりました」
 ゆっくりと、言葉を切りながら、最後に最も伝えるべき言葉を吐き出す。
「もはや……私にとっては、娘同然なのです」
 賢明なる領主であるファーリアが死ぬことで、結果的に少なくない被害を蒙る領民。路頭に迷う――あるいは、その命さえも落としかねない兵士達。それらについては、何も言わない。そのような事は、いまさら言うまでもなく、この年若き娘は十二分に承知している。それがわかった上で、なおもそういう気遣いをするのが、彼女が皆に好かれる原因でもある。
「……そう」
 クルードのその思いに対しては、彼女自身判らなくはない。というよりも、常に傍に居た彼は、まさしく”家族同然”である。あるいは、早くに母を亡くした彼女は、親の愛を求めていたのかもしれない。
 公人として、その時間の大半を政務に費やす父親は、やはり彼女が求めるだけのそれを、与える事は出来なかった。彼が、娘の事を考えていなかったわけではない。むしろ、出来うる限りの時間を割いた。それは彼女も分かっている。
 判るということと、割り切る事は違う。その意味では、彼女もまだ、子供なのだ。
(まだ……ね)
「それはいいわ」
「は?」
「いえ、こっちのこと」
 しばらくの間、ぼうっとしていたようだ。回想――少し早い、走馬灯と呼ぶべきなのかもしれないが。
「それで、結局どうするつもり?」

「ほう……」
 出口には、謀反を起こした前領主の兄、リアレスが組織した特務部隊の一団が待ち構えていた。
 五番隊まであり、一番隊以外の四隊は、金で雇われた傭兵達。忠誠は無いが、腕は立つし、仕事も正確で確実。
 ちなみに、ここに配備されているのは三番隊である。これは、彼女が今回の作戦において重要度が低いというのでは、もちろん無い。それよりは、じきに到着する”本命”までの繋ぎであり、敵対者の技量を見極めるために配備されているだけである。
 首尾よく行けば儲けもの。その程度にしか考えていない。
 けして過小評価はしていない。ファーリアも、それを護る、クルードという男も。

「娘と引き換えに”国”を差し出すか」
 隊長らしき男が、愉快そうに嗤う。少なくとも、他人を不快にさせることに関しては一流である。
「まぁいい。取引といこうか」
 後に控えてある馬車にちらりと視線をやり、クルードに対して顎で指図する。
 こういう場合、人質をとっている方が有利なのは子供でもわかる。不安が有ろうと無かろうと、先渡しを要求された以上、従わないわけにはいかない。
 下手に相手を刺激すれば、取引そのものがふいになりかねないのだから。
「……」
 一歩進む。無言で通路の出口の陰にいたファーリアを引っ張り出す。両手は後ろ手に縛られ、目隠し、猿轡がはめられている。
「上々。いいね。物分りがいい奴は」
 どん、と突き飛ばされ、よろけつつ前へ歩く少女を、部下の一人が回収する。
「わざわざ下ごしらえまでしてくださって、感謝の言葉も無い」
 顎を掴み、嫌がってもがく彼女の顔を覗き込む。
「……さぁ、娘を返してもらおうか」

「そうだな、返してやろう」
 後ろ手に持っていたものを、放る。
「!!」
 転がったのは、愛娘の……首。
「さあ、全てを仕組んだ大罪人、クルード・ガイアスを始末しろ!」
 隊長の号令によって、特務部隊の面々がそれぞれ得物を構える。
「……なるほど。心底腐っておるな」
 吐き捨てるように言う。何度も見てきた、最も嫌いな人種。
「なんとでも吠えるがいい。すぐに黙らせてやる」
 強者の余裕。
「得るものは得た……そういう顔だが、今一度、自分が何を手にしたのか見直すのだな」
「なんだと? ジジイ――」
 不意に”ファーリア”が炎に包まれる。
「こ、これはっ!?」
「昔……各地を放浪している時に手に入れた、古代の魔法玩具だ。対象の姿を写し取る土人形」
 お前達のような者のやりそうな事だ。予想していないはずは無いだろう。と。
「貴方達が約束を守るのなら、捕まってもいいと思ったのだけれど」
 通路の陰から、ファーリアが姿を現す。
「お嬢様!?」
 とっくに分かれ道から逃げているはずの彼女が。
「彼女が生きていたなら、みすみす無駄にするわけにはいかないでしょう?」
 馬鹿のつくほどに律儀。だが、どんなことであれ、きっちりと筋を通す。安易に嘘は吐かない。他人を嘘吐きにしない。そういう性格は、むしろ好ましいものとして、彼女が慕われる一因となっている。
「しかし、結局は無駄となったのですから、その時点でお逃げくだされば!」
「あら、大事な忠臣を置いてどこへ行くというの?」
「お、嬢様?」
 それこそ、耳を疑うような。
「逃げるなら、護衛が必要……そうでなくて?」
「……かしこまりました」
 にっこりと微笑みかける少女に、その意思と意図を感じ取った老人は、心底敬服する。大恩ある主二人を裏切ったのだ。たとえどちらとなった所で、果てるつもりだった。娘が還らぬ以上、この者達を道連れに。
 それを察した少女は「まだ必要だ」そう、引き止めてくれた。
 なれば尽くすしかない。
 この身の朽ち果てるまで。
 それでしか、恩返しと贖罪はかなわぬのだから。
「少々、お待ちください。いま道を開きます」
 すらりと剣を抜く。老人と同じく、長年に渡って鍛え上げられた剛剣が、陽光を切り裂く。
「くたばり損ないが。さっさと引導を渡してやれ!」
 その命を受け、最前の五人が半円で囲み、じりじりと包囲を狭めてくる。
 隙の無い動きは、個々人が高度に訓練されている事を示している。
(そして、グループの動きから、この五人が多対単を想定した訓練を受けている事も)
「囲んでなぶるのがやり方か」
 心底軽蔑したように。
「フッ、より確実に仕留める為。暗殺だのといったものは、綺麗事ではないのだ」
「かかれ!」
 一斉に飛び掛る。

「甘いな……。いくら訓練されているとはいえ、しょせん人間。まったく隙を無くす事などは出来ん」
「そして、それが連携の限界」
 一太刀流すだけで、五人を一気に斬り殺す。速い者から遅い者へ。隙が有るといっても、ごく僅か。そして、一太刀で全てを繋ぐ事の出来る瞬間は、まさに刹那の間。
 その瞬間を見抜き、そして成功させるのは、神業(かみわざ)と呼べるだろう。
「……兵では相手にならんようだな」
 瞬前まで馬上で悠然としていた隊長が、憮然とした面持ちで、降り立つ。
 騎兵槍や斧槍の類は持ってきていないし、そもそも小回りの利かない騎馬では相手にならない。相手の実力を認めてのこと。
「特務部隊……三番隊の隊長を務めるヴァボットだ。冥土で自慢するがいい。俺の剣を受けて死んだ事をな!」

「な……に?」
 絶対の自信をもって振り下ろした剣は、あっさりと受け流され、それと同時に持ち手であった右腕を、骨に届くまで切り裂かれる。
「両手持ちの剣を、片手で軽々と振る膂力は感心するがな。力を込めた打ち込みほど、この業の餌食だよ」
 絶妙のタイミングでもって相手の剣を受け、衝突の瞬間に腕を曲げ、力を流す。
 その斬撃に力を入れているほど隙は大きくなり、返す刀の斬撃を容易に喰らってしまう。
「両手利きのようだが、まだやるかね?」
 若さこそ失ったものの、その経験から来る技術は、生半な遣い手では太刀打ちできない。
「ち……。仕方ない。敵わん奴を相手にするほど、馬鹿じゃない――」
「んだよ!!」
 背中を見せ、退くかと思わせつつ、振り返りざまに五本の短刀を放つ。
 四肢と腹部を正確に狙うそれらと共に、上方から弧を描いて一本。
「おおおおおっっ!!」
 躱すか、弾くか。どちらにせよ、既に間合いを詰めているヴァボットの剣が、その体を捉える。
「……」
 案の定、クルードは一歩退いて上からの短刀を躱すと共に、愛剣の一振りで五本を同時に叩き落す。
「もらった!!」
 走り寄りながら半身になり、体ごと回転をつけ、右切り上げに振り上げる。
 半円分の遠心力をのせ、止める事を考えずに全力で振り切る。
 多少みっともないが、確かに迅さと威力は大きい。
(それに、これなら先刻(さっき)のようには流せん!!)

「がッ……」
「あ、あ……?」
 あそこから、交わした。剣を潜り抜け、ヴァボットの左を回り込み、無造作にその首に剣を突き刺す。
 ドスッ……。そんな音まで聞こえるような。
 剣を抜くと、既に命の灯の消えた隊長は、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。
「たしかに、沈み込んで衝撃を逃がす業ゆえに、下からの攻撃には対応出来ん。が」
「それだけのことが出来る者相手に、本当にそんな事で勝てると思ったのか?」
 根本的に腕の違う者相手に、少々の小細工をした所で無駄に過ぎないということ。
「さて……」
 ゆっくりと剣を振り、刃に付いた血を振り飛ばしながら。
「まだやるかね?」


[少女の夢 〜亡霊〜]
「く、くそっ!」
 敵わぬ事を悟った残りの者達が、任務を放棄して退却していく。
 と。
「ギャッ!」
「グアアーー!」
 ザシュッ!
 ザン!!
「ガッ……」
「全く、特務部隊が逃げ出してどうするんですか」
 涼しい顔をして全員を始末した青年が、抜き身を提げたままやってくる。
「惨い事を」
 表情に変わりはないが、兵を駒のように扱うその行為を好いていないのは、雰囲気で分かる。
「ご老人。さすがに元”亡霊”だけあって、たいした腕です」
「……お主も、同類の臭いがするな」
「ご明察。リアレス側近の、エンフィールと申します。ファーリア嬢を引き取りに参りました」
 優雅に一礼してみせる。まさに、慇懃無礼。先程の戦いを見て、なお十分な自信があるのだろう。
 あるいは、単なる若さという可能性も無いではないが、それはこの男が”亡霊”であるという事実が否定する。
 先程のように、簡単に行くはずも無い。
「悪いが、その申し出は蹴らせていただこう」
「では、力ずくで」
 無造作に歩を進め、剣を振る。クルードが受け、逸らそうとするのをさらに流す。
 キィンン!
 そのまま首を狙って放たれた斬撃を、かろうじて止める。
「衝突の瞬間に力を抜き、肘の関節、手首を緩衝剤にして力を逃がす。そして相手の崩れた隙に返す刀で斬る」
 パッと距離を取り、そんな解説をしてみせる。
「そんな小細工は、僅かにタイミングがずれただけでも意味がなくなるものです」
 熟練の業を、小細工と言って捨てる。だが、相手の攻撃に対し、確実にタイミングを合わせるのがこの業の核である以上、それを外されれば屑に等しいというのも、また事実。
「やはり、長年実戦から離れていた影響は大きいようですね。鈍(なま)りきった勘を、長年の経験で補う……。それも、格下相手にならともかく、同等以上の相手には通用しません」
 馬鹿にしたような物言いだが、どこまでも真実である。それは、ただ一度剣を合わせただけでもよくわかる。
「ならば!!」
 クルードがすぐさま攻勢に転じる。
 左右の肩と額への三連突き。
 後に軽い跳躍で躱す。それを追い、額の高さでの右からの横薙ぎ。
 わずかに沈んでやり過ごしたのに対し、体重をのせた逆袈裟。

「つ……」
 普通に受けると思いきや、先程クルードが使った業をやってみせる。
 予想外とはいえ、非常に巧い。腕を狙ったそれを肩で受けるのがせいいっぱいだった。幸い深くはない。
まだ、やれる。
「まぁ、理論さえ分かればこうやって簡単に再現できるわけです」
 天性のセンス。
「ですが、もちろん他人の業で決めるつもりはありません」
「今度は、私の業をお見せしましょう」
 その言葉と共に、雰囲気が変わる、圧倒的な冷たさ、果ての無い闇。氷よりも冷たい手で体の内側を掴まれたような感覚を覚え、思わずファーリアの足がすくむ。
「さすがです。常人なら気絶する気を受けて、僅かに退(ひ)けるだけですか。将来が楽しみです」
 目的であるファーリアを、実に面白そうに見る。
「だからこそ、今の内に手を打たなくては……」
 クルードへ向き直り、剣をすっと掲げ、走り込む。ほとんど音を立てず……それゆえに異常な速さに感じられる。ふと気がつけば、既に――。
 キィンン!
 ザッ! タッタッ、ヒュン! ヒュウッ、ギィィンンン!!
「虚剣(きょけん)を遣うか」
 共に無傷ではあるものの、どちらが劣勢であるかなど、はたから見ている素人のファーリアでも判る。
「”虚”。自らの気配を極限まで殺ぎ、そこに有ってそこに無いような印象を与える。達人ですら気付かず首を刎ねられる、暗殺剣の極み」
「それも、依然として冷たい闇の気を放ったままで。か」
「殺気や闘気と違い、こういった隠かつ静の気は、相性がいいのですよ。陰の気によって感覚が麻痺し、より深く虚にかかる」
 陰の気によって精神を凍らせ、動きを鈍らせる業は”凍剣(とうけん)”と呼ばれている。どちらもそうやすやすと扱えるものではない。
 そして――。
「それを同時に為し得る腕が、尋常でないのよ。天性の才、生きてきた環境、それこそ血を流し尽くすような修練。全てあってこそ……」
 話しつつ、体が冷えるのが分かる。たとえ全盛期であっても、相討ちがいい所だろう。勝てれば幸運。今この体では、相討ちすら奇跡に近い。
「おおおおおっっ!!」
 雄叫びを上げて、突進していく。だが、一見やけになったように思えるそれは、実の所間違いとはいえない。
「確かに。意識を一点に集中させ、他の入る余地を無くせば”凍”につかれることも、そして”虚”の効果すら幾分減じられます」
 あくまで「幾分」だ。その上でどれだけ闘えるかは。
「貴方の実力次第!」

「く……」
 やはり、勝てる気がしない。自分が浅い傷を二、三受けるのに対し、相手はかすり傷一つ。
 これでは、自分が相手の十倍程度頑丈でなければならない。無論、そんな事があるはずもない。
(このままだと、完全に殺られるな……)
 そんな覚悟をさせられる。だが。
「さて、では次にいきましょう」
 手品師が次の術に行くように、あっさりと言ってみせる。凍と虚を収め、自然体になる。
「はっ!」
 明らかな誘いとはいえ、行かない訳にもいかない。突進し、地を擦るような低さからの右切り上げ。
 後の先を狙う相手に対し、先の先を狙う。
 しかし。

「四閃(しせん)」
 一瞬の間に、四肢が切り裂かれる。ほぼ同時としか見えないほどの迅さ。瞬前、感じて動きを止め、跳びすさる。あと半瞬遅かったら、両腕両脚、全て切り落とされていただろう。
 術の類ではない。極限まで力を溜めて、一気に放つ。気をつけて見ていれれば、服の下で右腕が膨脹したのがわかっただろう。筋肉に限界以上の負荷をかけて速さを得るため、慣れていなければもちろん、慣れていてさえ多用は命取りとなる。
(一時的とはいえ、剣士の腕が動かなくなれば、即ち死が待っているだけですからね)
 この業は、これで終わり。クルードも悟ったらしい。これは単に業の「お披露目」をしているだけだと。
 今の”四閃”も、その気でやればごく浅い傷などでなく、切り飛ばす事も可能なのだろう。
(まったく……)
 これは、苦笑するしかない。
(しかし――)
 しかし、その力の差が、現実が、彼に取るべき道を決めさせた。覚悟を決めれば、動きの迷いも無くなる。
 次が、彼にとって最後のチャンス。
「さて、では終わりにしましょうか。もう一つ業をお見せしましょう」
 剣を胸元に引き寄せ、幾分左に引き気味の構え。突きを放つつもりなのは確かだろうが、ただの突きでも、それだけで終わるはずも無いだろう。
「……」
 無言で、無音。一瞬姿が消えたような。
 そして今度のこれは、純粋な迅さ。
(……!!)
 待っていた瞬間。それが訪れたのが、クルードも悟る。
 最後のそれが、もっとも目的を果たしやすい「突き」であったことに、わずかばかり微笑んだ運命に感謝して。

(……「敵わぬまでもせめて一太刀」を狙うよりも、その命でもって足止めし、時間を稼ぐ方を選んだというわけですか)
 突きと戻しをほぼ等速で、そのままの迅さでなます切りにするような十連斬。
 しかしそれは、深く入ったその瞬間に締められた筋肉と、しっかりと刃を握り締めた両の手によって妨げられる。
 なるほど。抜く事が出来なければ、次に移ることも出来ないわけだ。
 少女は、クルードが刺され、その剣を握り締めた時に走り出している。一度も振り返ること無く。
 非情なのでも、脅えたのでもなく、今自分がすべきこと……そして、何を望まれているかを理解した上での行動。
「……いいでしょう。貴方のその忠義に免じて、見逃してあげましょう」
「そのほうが、何かと面白そうですしね」
 剣を抜くのを止め、やわらかに微笑む。
 いずれ来る、新たなる闘いの予感にその身を奮わせる。
 彼の予感は外れたことが無い。
 今まで、ただの一度も。






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