[傍(そば)に居る人]
「う、んん……」
 呻(うめ)き声を上げながら、何度も寝返りを打つ。
「どうした。ファーリア」
「え、クード……?」
 当然ながら、寝ている間の自分の様子など、全く分からない。
「ずいぶんとうなされていたようだったからな。――泣いていたのか?」
「えっ?」
 言われて手をやると、確かに頬が濡れている。
夢の雫。
「そう、ね……。あの男が、謀反を起こした――その想いを、表に出した日のこと」
「色々、あったから」
 ゆっくりと、言葉にだす。
「そうか」
「うん」
 夜の闇が沈黙をより深くする。
「まだ夜は明けていない。もう一眠りしておくんだな。明日は忙しくなる」
「……あの!」
 そう言って去ろうとする男を、慌てて引き留める。
「なんだ?」
「あの、その……」
 柄にもなく、もじもじと。
「側に、居てくれないかな?」
 要するに、隣でなく、同じベッドで。
「……」
「……いいさ。怖い夢を見ないように、な」
 大きな手で、頭をくしゃくしゃっと。なんというか、父親のような――。
「“怖い”じゃなくて、悲しい、なんだけどね」
「全く、口の減らないお嬢様だ」
「ふふっ」
 わずかに笑みが浮かぶ。
「さ、もう寝ろ。ついていてやる」
「うん……」
「お休み」


[簒奪領主の夢 〜後悔〜]
「ふむ……あるいは、大きな勘違いをしていたのか」
 簒奪領主などと陰口を叩かれる、そのこと自体は後悔も何もしていない。
「だが、これ程つまらないとはな」
「もはや何をしても、何を見ても心躍る事はない」
 すっかりと生きる気力を失った男は、二十は老けて見える。
「思えば、領主の座などというものを、本当に欲していたのか」
「弟に時を奪われ、延々と、意味もなく縛られ続けた。そのことに対する恨み」
 確かにあった。……いや、少なくとも、実際に領主となるまでは、そう思っていたはずだった。
「人とというものに、生きる意味、目的、為すべき目標が必要なように……。あるいは、同じようなものだったのかもしれんな」
 そもそも、それほどまでに弟を恨んでいたのか。嫌っていたのか。
「何か、何もかも間違っていたのかもしれんな」
 気付くには、少々遅すぎた。
「生きる意味を失ってまでしがみつくほどの生でもあるまい」
 幸い、姪は逃げのび、生き延びたようだ。政治手腕も、その人徳も、子供とは思えぬほどの少女。
「人望もあり、能力も優れた者に託すか」
 このまま自分が留まるよりは余程いい。自分にとっても、民にとっても……恐らく、彼女にとっても。
 せいぜい悪役を演じ、無様に果てる。
「それが、最後の仕事だ。最後のな」

 ……遠くから呼ぶような声が聞こえる。深い所にある意識が、ゆっくりと覚醒していく。
「お目覚めですか」
「……」
 気付くと、目の前にエンフィールが立っている
「どうやら、気付かぬうちに眠っていたようだ」
「なにやらうなされているようにも見えましたが」
「ふっ」
 自嘲ぎみな笑い。年相応に、いやそれ以上に老けて見える。
「しょせん、私も”心弱き者”に過ぎないということだ」
 領主になった事を後悔した日の夢。もう幾度になるのか。
「それで、どうした?」
 しかし、それもこれが最後だ。もう、見る事はない。けっして。
「いえ、特に用というわけではないのですが……」
 含みをもたせた口調。その目には、かすかな嘲りと、暗い喜悦が浮かんでいる。
「ふっ、もうじきだ。もうじき、全てを終わらせるための最後の舞台が始まる」
「楽しみですよ。あなたが、どのような幕引きを演出なさるのか」


[終わりの朝]
「それにしても、夕方……。結構暇なものね」
 じっと部屋で時を待つ気にもならず、街をぶらついている。
「ま、向こうにも色々準備があるんだろう。一々気にしても仕方がない」
「そうね」
 そんな我侭に何も言わずついてきているのは、今朝の彼女の涙を見たせいか。
 ……あるいは、たんに子煩悩のけがあるだけなのかもしれないが。
「……おい」
 歩く速度を変えないまま、声を若干低くするクード。
「?」
 ファーリアは怪訝な顔をするが、その声が自分に向けられたものでないことに気付く。通り越して――前。
「いつまでコソコソしているつもりだ? かくれんぼなら他でやってくれ」
「それとも――」
「俺と遊びたいのか? この鬼の持っている得物はよく切れるぞ」
「わっ。わわっっ!」
 慌てて角から飛び出してきたのは、まだ十代半ばに見える少女。幼い顔立ちに似合わず、両腰にそれぞれ細剣を佩いている。
「刺客にしては殺気も無いし、一体、なんの用だ」
 それに、そもそも招待してくれているのだ。わざわざ。それなのに、刺客を放つものだろうか。
「あっ、は、はい。え、えっとですね〜……」
 それ以前に、こうまで怯えているような者が、刺客?
「……シェリー?」
「あ、姫様ぁ。お久しぶりです」
 心底ほっとしたような笑顔。
「知り合いか?」
「シェリントン・カーラウ。騎士隊所属。私の身辺警護を務めてたの」
「騎士隊……?」
「はい♪」
 にっこりと返すが、それだけに、余計疑問が膨らむ。
 騎士隊とは、幾多の騎士の中でも特に選ばれた、正真正銘のエリート集団である。軍の中での地位も最も高く、それだけに腕前はおろか、礼儀作法、家格なども考慮される。国の華であり、最も強力な剣であり、盾である。
 親の七光りにしても、ファーリアも――話によるとその父親も、そういった事を許すようには思えない。
 あるいは、もしかして、ないとは思うが……凄腕だったりするのだろうか?
 ファーリアが自分を護らせる為に使っていた以上、ただの少女ではないのだろうが。
「とてもそうは見えない」それが、正直な感想である。
「で、結局なんの用なんだ?」
「あ、はい――」
「お迎えに上がりました♪」

「!!」
 その相変わらずのんびりとした声を聞き、瞬時に空気が変わる。クードは素早く大事な”お嬢様”を自分の後にやる。
「えーと、あの、どうしました?」
 その様子を見て、本気で不思議そうな顔をしてみせる。
 それにつられて、こっちの気もゆるむ。もちろん、油断というところまではいかないが。
(どうも、ペースを狂わせられる。実に変わった雰囲気を持つ娘だ)
 意図してやっているなら、確かに凄腕かもしれない。
「いえ、ですから、隊長がお呼びなんです」
「隊長……クライトのこと?」
 騎士隊長などという位の者が生き残っているのも、ファーリアの「無用な手向かいをせず、命を大事に」という言葉による。
 それを「いずれ再起の時まで」と取った兵たちは、必要以上の抵抗をしなかった。
 もちろんその言葉は、次の争いのためなどでなく、純粋に無駄に命が散らされることを嫌ったものだったのだが。
「本来はこちらから出向くのが当然なのですが、まぁ……色々と都合がありまして」
 さらに微笑をひとつ。
「と、いうわけで! クードさん、お手並み拝見します!!」
 そう言い放つと、瞬時に二剣を抜き、斬りかかってくる。
「と、いきなり何だ!」
 打ちつけられる剣を受け止める。
細剣を、叩きつける……。希少な特殊鉱で作られた刀身は、そんな本来の用途ではない乱暴をされても何ともない。
「ですから、あなたが本当に姫様を護るにふさわしいかどうか、です!」
 素早い連突きを、首を振って躱す。細剣類は、その形状から刺突、払い、切っ先での薙ぎや切り裂きが主な使い方。そのしなる刀身により、一流の遣い手が操れば、剣尖は音速に達する。
 そして、彼女のような”超一流”が使えば――。

(迅いな)
 むろん、どうしようもない程という意味ではない。しかし「相手に怪我をさせないように」という条件をつければ、格段に難易度が上がる。
 不本意ながら、騎士隊というのは伊達ではない。それも、隊長と言っても通じるくらいの――。
「あの、どうしました――?」
 こんな状況下ですら、ほとんど雰囲気が変わらない。演技でなく、天然。そして、これに調子を狂わされる者も少なくないだろう。
 幸い、クードは大した影響は受けていない。
(もっと、本気のやり取りでさえあれば、全く気にならんのだがな)
 こんな、試合のようなものでなく、彼女が命を狙ってきているのであれば。戦闘モードに入った彼に、精神面での影響は全く無いのだが。
 これでも、下手をすれば命を落とすだろうが、最初からやる気で来ているのとは違う。そういう意味で、やりづらい。非常に。
「ちっ、仕方ない」
 蛇のように、まるで生き物のように様々に襲い来るその二刀を、かすめるように当て、わずかずつ軌道とタイミングを狂わせる。
 集中力。ここからラストまで、ミスなく一気にいく。

「つっ?」
 さらに数度続ける。案の定「迅さを維持し、かつ二刀それぞれで時間差をつけ、躱しにくく」ということに意識の大部分を割いている為に、何をされているか、そしてどうなるかが分かっても――。
(加速のついた馬車は、急に止まることは出来ない)
 じょじょに狂わされ続けたタイミングは、やがて両刀を揃える。左右の、繰り出される瞬間、その軌道を。
「キャッ!」
 タイミングを合わせ、一気に二剣を跳ね上げる。剣を取り落とす事無く引っ込めるが、その衝撃によってジンジンと両腕が痺れる。
「ったく! いつまでも調子にのっていると――」
 まだ続ける気なら、少々苦痛を与えることになってもお仕置きしよう。
 しかし、そう思った瞬間に、またもや予想外の行動をとられる。
「や、やっぱり無理ですぅ〜。隊長〜、助けてくださいよ〜〜!」
「このままだと、わたし殺されちゃいますぅ。や、もしかしたら服だけ切られて、エッチなことされちゃうかも〜〜!」
 突然泣き言を言い始める。「するか、そんなこと!」というツッコミも、あまりの事態に出てこない。
「……まったく」
 そう言って背後から男が姿を現す。そろそろ中年に入る頃だろうか。その動きからして、かなり出来る。この男が、件の”隊長”なのだろう。
「隊長〜。だから止めようって言ったじゃないですか〜〜。わたし、もう少しで殺られ――姦られちゃうところだったんですよ〜〜!」
「……シェリントン君、街中でそういう不穏当な発言は慎みたまえ」
 そうなんです。一連の”事件”は、それなりに人通りのある往来で起きたのです。
当然、周囲の――。
「――! いかん、とりあえず行くぞ。ファーリア様、失礼は後で改めてお詫びします。ともかく、ご一緒に来てくださいませんか?」
 何とも慌ただしく。だが、万が一これすらも罠の可能性が――無いとはいえない。まぁ、疑ってみたところで、どうしようもない事だが。
「……まぁ、時間もあるし、構わないけど」
(そんなにゆっくりというほどは無いぞ?)
 小声で耳打ち。
(でも、気になるでしょ?)
 同じく、小声で返す。
「わかった。俺も同行させてもらうぞ?」
「無論です――と、早く!」
 遠くから「何処だ、往来で斬り合いなんかやってるという奴等は」とかなんとか言う声が聞こえ出す。数人が走り来るような足音。確かに、早めに姿を隠した方がいいようだ。間違っても「隣の領の元騎士と元領主が問題を起こした」などということになるわけにはいかない。
 ともかく、四人はばたばたと裏路地の方へ走り去っていった……。

「で?」
 シェリーの言うところの”隠れ家”に着き、一息ついたところで、クードが一連の行動について問う。

 ちなみに、騎士隊というのは「国」の法によって二十五人と決められている。ここにいるのは隊長とシェリーの二人だけだが、それは他の者達が既に所定の位置についているからであり、けして生き残ったのが二人というのではない。最精鋭だけあって、一人も欠けることなく現在に至っている。
 どちらからかの連絡が行かなければ、作戦は中止して本当に休暇となる。そういう手はず。皆、自分たちが敬愛する領主の性格を良く分かっている。
 その説得の難しさも、

「で? なんだってあんな真似を?」
「それは――」
「みんな隊長が悪いんです! 私はそんな危ない事はしたくありませんってはっきり言ったのに……。だから、殺すなら隊長にしてください〜〜!」
 訳を話そうとした隊長を押しのけ、少女はそんなことをまくし立てる。
「……なんだか、さらりとひどいこと言っているな」
「相変わらずね……」
「……」
「……いつも、ああなのか?」
 さすがに驚いたように。ちょっとというか、十分に「変人」の部類に入るのではないだろうか。
「変わってるでしょ?」
「大いにな」
 頭痛がしてきた……。
「シェリントン君」
「はっ!? いえ、その……でも、わたしはまだ死にたくないです。えっ、隊長睨んでます? いや〜〜、懲罰房も夜のお相手も、鞭も蝋燭も勘弁して下さい〜〜!」
「シェリントン君! 少し黙ってなさい!!」
「は、はい」
 おもわず怒鳴りつける。このまま放っておくと、特殊な性癖の持ち主と誤解されない。
(断じて違うぞ!)

「あらためて自己紹介を。私は、ファンゼットで騎士隊長を務めておりました、クライト・トゥーン。こっちは」
「シェリントン・カーラウです。ピチピチの十九歳。シェリーって呼んでくださいね♪」
「……」
 隊長殿と元領主様が、なんとも言えない表情で頭を抱える。
「……。十九!?」
 予想外の数字に驚く。
「せいぜい十三、十四程度だと思ったのだがな」
「キャッ、それって若く見えるって事ですよね? 隊長〜、誉められちゃいました〜♪」
 あくまで、どこまでも能天気に言う。なんというか、空気や状況を察することが出来ないらしい。
「シェリントン君……いいから、少し黙ってくれ」
「……はーい」

 とりあえず、大体の事情はわかった。この少女が黙っていると話が早くすむ。そう思ったのは、間違いなく当人を除く全員だ。
「つまり、私に呼応し、決起すると?」
「端的に言えば」
「ふぅ〜……」
 今にも「やれやれ」と言いたげな表情で、顔をしかめる。
「たしか、以前言ったはずよね。これ以後のことに対しては、決して関わらないこと。それが――」
「その言葉が、私たちの事を考えてくださった上でのものだという事は、重々承知しています」
 主の言葉を遮り、話しだす。
「ですが、やはり全てを姫様に全てを任せるというのは」
「無論、姫様のことを信じていないのでも、騎士隊としての名誉と忠誠のためでもありません。私達全員が、心から姫様をお慕いしてのことです」
 自らの言葉に酔うでもなく、ただ真実を告げる。しかし、その想いこそが、ファーリアの止めたかったもの。
「それが余計なこと、なんだろ?」
 話の間ずっと黙っていたクードが口を開く。
「どういうことであれ、たかだか政権交代のような意味のないことで死人を出す気は無い。そういうことだ」
「……」
 クードの指摘は正しい。そしてそれは、より付き合いの長い彼らの方が良く理解している。あらためて、面と向かって言われることで、否応なくその意味を思い出さされる。
「俺に任せておけばいい。しっかりとお嬢様を護り通してやるさ」
「なんなら、確かめてみるか?」
 軽く笑みを浮かべ、腰の剣を示す。
「……結構だ。私とそう腕の違わないシェリントン君を、簡単にあしらったのだ。いまさら確かめるまでも無い」
「……?」
 黙っていろの意味を履き違えたのか、うつらうつらとしていたシェリーが、自分の名を呼ばれたことで目を覚まし、きょろきょろと辺りを見回す。
「せっかく休暇を取ったんだろ? どうせ事後処理で忙しくなるんだ。今のうちに休んでおくんだな」
 その様子に苦笑しながら。
「……気付いていたか」
 少々の驚きを込め、クードを、ファーリアを見る。
「現領主に雇い入れられていることか? まぁ、そっちがこちらの事を知っているように、こっちの方でも色々とやっているのさ。あるいは、そのまま敵対する気だったか?」
「ふざけるな!!」
 軽い挑発に、我を忘れて激昂する。それは、彼の――ひいては彼等のファーリアに対する忠誠を如実にあらわしている。
「そうです! 隊長や他の人はともかく、私が姫様の敵になるなんてこと、あるはずがありません!!」
「……」
 どうしていいか分からないような表情で絶句しているのは、その”隊長”である。
「ならいい。せいぜい、事の後のお嬢様を護ってやってくれ。俺はそこまでは付き合えんからな」
 真顔で諭すクード。しかし、それが、かえって「そこまでは一緒にいられない」と残念がっているように聞こえ、不思議に気が楽になる。
「フッ……」
「姫様を、お願いする」

「……隊長〜〜」
「ん?」
 二人が去った後。というわけで、結局ひまになる。まあ、明日からは、おそらく新領主となったファーリアの為に、休みもなく粉骨砕身働くことになるのだろうが。
「えとですねぇ。なんとなくと言うか、おそらくと言うか、こういう展開になる気がしてたので」
 あいかわらず”ほわ〜〜ん”という言葉が似合う。喋りも、仕草も。
「それで?」
 いまいち意味が分からず。
「で、ですねぇ。予定を立てたんですよ」
 だから? なんの?
「ですから、せっかくだからデートに行きましょう♪」
 なぜ自分なのか、どこら辺りが「せっかくだから」なのかとか、それにしてもこの状況で。とかいうのは言わない。というか、言っても無駄だということぐらい承知している。
 少なくとも、シェリーが彼を誘ったのは、れっきとした理由がある。以前から、それなりにあからさまな意思表現をしていたのだが……気付かない彼が鈍いのか。それが、十五も離れた娘ということもあるのだろうが。
「……ま、そうだな。よし、行くか」
「はい! レッツゴ〜〜。です♪」
 そんなわけで、今夜街のどこかで、もう一つのクライマックスが訪れたりしたのだが。
 それはまた別の話。






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